旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


秋水

ロケット戦闘機 『秋水』

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
5.95m
9.5m 17.73㎡ 約3,000kg 800km/h
航続時間 連 コードネーム 発動機 製 造 設計者
7~8分 (未成) 薬液反応ロケット
「KR-10」
三菱重工業 高橋 己治朗

技術の宝庫ドイツから、夢のエンジンを手に入れろ

(第1項は「橘花」と同じ内容です。)


1944年、日本はアリューシャン諸島を奪い返され、南方諸島も次々と失陥。
6月には「マリアナ沖海戦」において日本の救世主として期待された【大鳳】を始め、【翔鶴・飛鷹】を失った挙句敵に痛打を与えることすらできずに大敗北。
航空戦だった太平洋戦争において、主力の空母を3隻失った「マリアナ沖海戦」の勝敗は戦争そのものの勝敗と直結していました。

なりふり構っていられない状況の中、日本には遠くヨーロッパで戦う同盟国のドイツよりやってくる2隻の潜水艦を今か今かと待ちわびていました。
「遣独潜水艦作戦」、中国を始めとした大陸ルートが軒並み連合国側だったため、技術や物資供与はこの潜水艦の往来しか方法がなく、アフリカ大陸の喜望峰を経由した数ヶ月の旅が頼みの綱でした。
そして今回の「遣独潜水艦作戦」には、アメリカの度肝を抜く最終兵器につながる最重要機密技術が関わっていました。

ドイツはヨーロッパで強国イギリス・ロシア相手に戦争を続けていましたが、その技術力は世界随一のものであることは戦前から周知の事実であり、そして第二次世界大戦においても、世界に先駆けた強力な兵器を多数投入していました。
その中の1つに、ロケットエンジンやジェットエンジンを搭載した航空機があります。

まず、これに大多数が採用していたレシプロを加えた3つのエンジンについてものすごくザックリ説明しましょう。

1.レシプロエンジン
燃料の燃焼によるエネルギーでピストン(4ストロークが主流です)を回し、そこで得たエネルギーがクランクシャフトを通じて効率的にプロペラを回転させる方法。
燃料と空気を混ぜ、圧縮し、火をつけて燃やし、発生したガスをクランクシャフトで回転力に変換。
車のCMとかで4つのピストンが高速で動いている映像を見ることがあると思いますが、それがレシプロエンジンです。

2.ロケットエンジン
燃料と酸化剤などを掛け合わせた化学反応によって高圧ガスを発生させ、それを噴射させることで推進力を得る手法。
言葉通り、ロケットの発射に使われていて、短時間で猛烈なエネルギーを生み出すことができます。

3.ジェットエンジン
ロケットが酸化剤などの化学薬液を利用することに対し、ジェットエンジンは外部の空気=酸素と燃料を反応させて推進力に転換する手法です。
ジェットエンジンはまず自力で外部の空気を強制的に取り込む必要があり、速度が出て外気を十分取り込むことができれば、あとは燃料を燃焼させて推力に変えます。
空気をギュッと圧縮し、圧縮した空気と燃料を反応させて高圧ガスを作り、それを推進力に転換する方法です。

これまで採用されていたレシプロエンジンは、とにかくエンジンの馬力と燃料の質が重要でした。
しかしロケットエンジンとジェットエンジンは動力源が異なり、そして特にロケットエンジンは化学反応という爆発力を用いることから、想像を遥かに上回るエネルギーを生み出すことができます。
それは原子爆弾を見れば一目瞭然でしょう。

遡って1943年、ベルリンにいた日本大使館付きの武官たちはドイツがとんでもないロケット戦闘機を保有していることを知ります。
この技術をなんとしても日本にも取り入れるべく交渉を続け、ついに1944年4月、ロケット戦闘機「Me163B」とジェット戦闘機「メッサーシュミット Me262」の設計図、説明書、燃料の生成の方法などの資料を持った2隻の潜水艦が、ドイツを出発しました。
潜水艦が2隻なのは、この長い道中、確実に訪れるであろう敵の襲撃に備え、どちらか一方でも日本にたどり着ければという決意でした。
生か死か、命を賭した作戦が決行されます。

しかし先行した【呂501】は、5月16日に爆雷を受けているという通信を最後に連絡が途絶えてしまい、沈没してしまいました。
希望の炎は、4月16日に出発した【伊29】に託されます。
【伊29】は緊迫した艦内のプレッシャーに耐え抜き、日本まであと少しのシンガポールに7月26日に到着しました。

ところが日本に近いということはアメリカの警戒も強まるということ。
ここまで来たら一安心、という海域はどこにも存在しないのです。
そして7月26日、シンガポールを出発して台湾方面へ進んでいたところに、恐れていた事態が起こります。
【米ガトー級潜水艦 ソーフィッシュ】【伊29】に襲いかかり、雷撃によって【伊29】もまた、日本に到着することなく沈没してしまうのです。
ドイツの技術の結晶たるロケットエンジン・ジェットエンジンの資料とともに。

7月19日、1機の輸送機がシンガポールから日本にやってきました。
搭乗していたのは巌谷英一海軍技術中佐
ドイツから【伊29】に乗り込み、ドイツからの貴重な資料を輸送した一員です。
彼の手元には、数種類の書類がありました。

実は巌谷中佐はこの虎の子の資料を1日でも早く日本に届けるべく、数種類の書類を持って先に日本へと帰っていたのです。
【伊29】の沈没によって多くの資料は沈んでしまいましたが、この数少ない資料が、「秋水・橘花」誕生に向けた第一歩となりました。

少ない資料を補うのは経験と技術力という三菱最大の武器


一部資料の入手により、なんとか首の皮一枚繋がったわけですが、しかし手元にあるのは「Me163B」の外形図面、ロケット燃料の成分表、取扱説明書、実況見分調書などのみ。
是が非でも手に入れたい機体の図面や、初めて扱うロケット燃料についての詳しい資料は存在せず、この内容だけで果たして機体と燃料を完成させられるのか。
陸海軍幹部や製造が内定していた三菱の設計者などを交えた検討会が連日開催され、国の窮地を「秋水」に託すか否かの議論が紛糾しました。

しかしいかに困難な開発であっても、日本保有の技術力で「B-29」の縄張りである高度10,000mでの戦闘が可能な機体を作り上げるのは非常に厳しい現状は誰もが理解していました。
陸海軍と三菱は腹をくくり、「秋水」完成に全力をつくすことにしました。
海軍では本機を「J8M1」、陸軍は「キ200」と呼称します。
(ちなみに設計段階で原設計に忠実であるべきという海軍と再設計すべきという陸軍の対立があったのはもはやお約束です。)

「秋水」は機体の設計を海軍が、エンジン周りを陸軍がそれぞれ主導権を持つことになります。
まず機体の設計ですが、外形を見る限り、「Me163B」は無尾翼機で、三菱はこの無尾翼機というものを作った経験がありませんでした。
しかしこれには海軍航空技術廠が積極的にデータを提供し、設計において一番経験が浅かった箇所の難題をクリアします。
そして三菱は他の設計を、これは大手メーカーだからこそなし得る技、「経験」によって限られた資料から「秋水」の形作りをどんどん進めていきました。
苦労はしたが想定はできる、そして想定の範囲が狭ければトライアンドエラーの回数が減り、より早く設計を進めることができる。
8月7日に正式に三菱「秋水」が発注されましたが、なんと三菱は11月には機体の設計を終えたのです。
さらに言えば1ヶ月で木型模型が完成していて、つまり1ヶ月で見よう見まねの機体の概要図が完成していたことになります。
設計期日が10月15日までというスケジュールもおかしいですが、半月遅れ程度で外形図だけと言ってもいい資料から新機軸の航空機設計を終わらせてしまう三菱もおかしいです。

12月26日と翌年1月8日にはエンジンを搭載していない滑空機「秋草」が先に滑空試験を行いました。
これが見事に成功し、燃料を使い切ったあとは滑空して着陸をする「秋水」の設計は間違っていないことが証明されたのです。
ちなみに「秋草」という名前はもちろん「秋水」が由来ですので、少なくともこの滑空試験以前から本機は「秋水」と名づけられたと思われます。
以後、訓練はこの「秋草」で行われるようになりました。

しかし一方で、経験すら全く役に立たないのがロケットエンジン「KR-10」です。
実はロケットエンジンは陸軍主導のもとで1940年から陸軍航空技術研究所が行っており、三菱もロケットエンジンと同じように化学反応によって推進力を得る研究は成されていました。
しかしロケットエンジンはレシプロエンジンと構造が全く異なります。
燃料も違う、燃焼の流れも違う、圧力も違う、使える材料も強度も違う。
絵を描くことそのものは簡単なのですが、それを細部まで詰めるには資料があまりにも少なかったのです。
機体設計とは逆に、こちらでは経験ではなく技術が試される分野でした。

「KR-10」開発には陸海軍を始め、大学教授や鉄工所メーカーの人間など様々な知識を持つ人達がそう出て取り掛かります。
難航したのはやはり化学燃料です。
「KR-10」は甲液と呼ばれた、濃度80%の過酸化水素に反応促進剤としてオキシキノリンとピロリン酸ソーダ、乙液と呼ばれたメタノール57%:水加ヒドラジン37%:水13%の混合液に反応促進剤の銅シアン化カリウム、この甲液と乙液を反応させてエネルギーへ転換します。
甲液が酸化剤で、乙液が燃料です。

この過酸化水素、強酸性の劇薬で、人間の皮膚なんて柔らかいものは一発で溶けてしまいます。
金属も当然ダメで、あらゆる器具は陶器で作り上げることになりました。
毒性も高く、燃料と反応させてエネルギーを生む存在ですから、単純に恐ろしい爆発力を秘めています。
そのため真夏の工場にも関わらず、作業員は長袖長ズボンという過酷な環境下で従事していました。

加えてデリケートで、些細な異物混入や濃度の違いで反応が大きく変わります。
このデリケートさはエンジンの構造にも関わっており、1%との誤差、ミリ単位の誤差の修正が連日続けられました。

またこのエンジンは、1回の飛行になんと総量2tもの燃料を消費することから、単純に生成能力が国内に残されているのかという問題もありました。
表題の項目でも記載していますが、「秋水」の飛行時間はわずか7~8分です。
むちゃくちゃ強いらしいけど、それは1回2tの燃料を使うに値するのか?
1本2億円の魚雷に必殺の思いを念じ続けた艦艇の呪縛と同じ葛藤かもしれません。

日本初のロケット戦闘機 超空の要塞を屠ること叶わず


これだけの難題を背負った「KR-10」は、10月中にエンジン2基を完成させるという期日には到底間に合いませんでした。
燃料の配合やエンジンの構造に加え、資料が乏しいため各部品の設計がうまくいかず、数カ月たっても未だに規定の出力には達していませんでした。
このままでは「秋水」の完成はおろか、開発中止に陥るかもしれません。

これに追い打ちをかけたのが、12月7日に発生した三河地震と、軍需産業を執拗に狙ったアメリカからの空襲でした。
破壊された三菱名古屋工場は本機だけでなく、「ハ43-42型」のエンジン製造も担っていて、当時開発中の新型戦闘機の配備に多大な影響を与えました。
設計図こそ無事だったものの、それを具現化する施設はもうありません。
当然町並みも一変してしまっているので、従業員の通勤どころか住まいの確保すらままならないのです。
名古屋での開発継続は断念せざるを得ませんでした。

開発班は横須賀へと場所を移し、エンジン開発を継続します。
そして1月19日、ついに燃焼実験が成功し、ようやく完成の見通しが立ってきました。

しかしその光はとても小さく、果たしてゴールまでどれだけの距離があるのか、これは誰にもわかりませんでした。
不具合は相変わらず噴出、「KR10」開発中に改良された「KR20、KR22」というエンジンも実用性は乏しく、頭を抱える日々が続きます。
この状況をあざ笑うかのように、「B-29」による空襲は日増しに強力なものとなり、またエンジンの登場を待つばかりの「秋草」の操縦能力も向上していきました。
横須賀も危険な地域となったため、設計班は神奈川県山北へ移動します。

着実に進んで入るものの、そのあまりに遅い歩みには流石に実際に操縦する現場にも焦りを生み出しました。
「秋水」を操るために設立された海軍三一二航空隊の柴田武雄大佐は、これまで座して完成を待ち続けていましたが、さすがに半年を過ぎてこの状況下でまだ試験飛行ができないのはまずいと考え、実績だけでも残さなければならないと考えます。
4月には多少強引に飛行実験を行う予定でしたが、事前のエンジン実験中に爆発が発生してしまい、この計画もご破算となってしまいます。

そして6月、ようやく3分間の全力運転に成功し、なんとか形になったエンジンを搭載し、「秋水」はついに飛行に向けた準備を行います。
海軍の1号機、陸軍の2号機は地上実験を経て、まず7月7日に海軍の1号機が飛行実験を行うことになりました。
場所は追浜海軍飛行場。
追浜海軍飛行場はあまり広くないため、厚木や木更津にすべきとの声もあったのですが、移動のリスクや海岸に面していることから非常時は不時着できるという判断と言われています。

この飛行実験、燃料の搭載量は通常の1/3となっていました。
前述の通り、燃料は満タンで2tに迫ります。
エンジンの実績も全力3分ですから、満タン積んでしまうと3分以上の飛行で何が起こるかわかりません。
燃料を減らせば重さも軽くなるし、すぐに使い切ればエンジンへの負荷も減る。
単純計算、2分超の飛行となる燃料で飛行することになりました。

しかしこの減らされた2/3は、1人の命を奪うことになるのです。
慎重にエンジンを整備し、予定より3時間遅れた午後5時に「秋水」は発進します。
操縦席には「秋草」で2度の滑空試験を行った犬塚豊彦大尉が座っていました。
たった320mを滑走すると、「秋水」は45度の急角度で急上昇。
今まで見たことのない光景に一同唖然とします。
そしてその光景は次の瞬間黒煙によってかき消されました。

これまで猛烈な炎を吐き出していた尾部から突如黒煙が舞い上がり、なおも上昇を続けた「秋水」は高度500m付近で停止、エンジンは完全に止まってしまいました。
犬塚大尉はこれまで培った滑空技術でなんとか着陸を試み、また爆発の危険がある甲液を放出弁から投棄します。
しかし本来なら滑走路を目指すところを、犬塚大尉は近くの埋立地へ向けて滑空を開始。
これは着陸失敗時に甲液による大爆発の危険を避けるために滑走路を避けたのではないかと言われています。
しかし翼の小さな「秋水」は沈下速度が早く、滑空体制が整う前に「秋水」は近くの施設に接触してしまいます。
機体は奇跡的に無事で、犬塚大尉も救出されましたが、頭蓋底骨折の重症で、翌日に殉職してしまいます。

エンジン停止の原因は、45度の角度にありました。
燃料タンクの燃料が後ろに偏ってしまい、化学反応が成されず急上昇の際に燃焼が止まってしまったのです。
ここで初めて、この構造だと燃料は否が応でも満タンにしなければならないことが判明したのです。
これに気づかなかった三菱への責任問題が発生しましたが、この責任はこの状況を準備した自分にあるとして柴田大佐が前に出て謝罪。
三菱はタンクの燃料取り込み口や可動域を改造し、同じようなことが起こらないように手を加えています。

しかし、このような事故はもう起こるわけがありませんでした。
終戦は目前だったのです。
陸軍は2号機による実験を控えていましたが、先の犬塚大尉の殉職によって実験は躊躇され、また海軍もタンク改造後の再実験に二の足を踏んでいました。
そしてそのまま、8月15日を迎えました。

結局「秋水」はエンジンを積んだひとまずの完成形が6機(+実験で使われた1機)と、心臓は入っていたもの果たしてそれが健康かどうかは動かしてみなければわからないという状態でした。
「秋水」もまた、エンジンによって誕生時期を逸した存在の1つでした。
しかし他の機体と違い「秋水」のエンジンはロケットエンジン、エンジン技術においては大きく溝を開けられていた日本が、ちょっとした資料だけで1年ほどでこのエンジンを完成間近まで持っていったことは凄いことなのです。
「秋水」も1年で試験飛行までできていることを考えると、スケジュールとしては順調の部類に入ります。
単純に時期が悪かった、ただそれだけです。

「秋水」の戦闘方法ですが、これは「震電」と類似しています。
「震電」は上からの攻撃と正面からの迎撃ですが、「秋水」は超高速で敵が対応できないうちに攻撃、一度離脱した後改めてエンジンを吹かして攻撃をして帰還、となります。
なにせ飛行時間は10分もないのです、一撃離脱戦法以外の方法は取れません。
花火のように、一気に打ち上がり、敵に大ダメージを与えた後、滑空で静かに帰っていくのです。

ただ、滑空中は操縦こそできますが振り切るようなことはできません。
なにせ滑空ですから、徐々に速度が落ちる中でどれだけ追撃の戦闘機と戦えるのかと言われると甚だ疑問です。
また飛行時間があまりにも短いため、配備された飛行場付近の飛行を避けられると途端に仕事がなくなります(実際ドイツがそうでした)。
日本の場合、例えば横須賀に優先的に「秋水」が配備されたとしても、空襲箇所を千葉や静岡に変更するだけで「秋水」の出番はありません。

現場の声も意外と芳しくありませんでした。
速いのは素晴らしいのですが、この速度で、2~3分という短時間で、大口径30mm機銃の照準を合わせるのは非常に難しく、また空戦というよりも弓矢のような役割ですから、乗り甲斐もないという意見もありました。
そしてやがては「秋水」は特攻兵器として使われることが想定されるようになります。
機銃が無理なら自分が当たれという、何のためにドイツから技術供与を受けて開発したのかわかりませんが、しかし機銃で狙うより自分が弾丸になる方が確実性が高いのは事実でした。

このように、「震電」同様新機軸の戦闘機ではありましたが、果たして誕生していれば日本の窮地を救う存在になったかと言われると、恐らく「震電」よりも期待値は低いと私は思います。


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