旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


二式水戦

二式水上戦闘機 通称「二式水戦」

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.24m
12.50m 22.44㎡ 2,460kg 437km/h
航続距離 連 コードネーム 発動機(中島) 製 造 設計者
1,150km Rufe(ルーフェ) 空冷複列星型14気筒
「栄ニ一型」
中島飛行機 三竹 忍

世界一の水上戦闘機 軽快な零戦の機体を受け継いだ二式水戦


日本はかねてより水上機能力の底上げと立派な戦力化を目指し、それは戦前戦中に多くの機体で反映されていきました。
その中でも名機と呼ばれる機体に「零式水上観測機」「瑞雲」がありますが、それらと並んで評価が高く、太平洋戦争を戦い続けたのが「二式水上戦闘機」です。
日本はどうしても戦場が陸から離れてしまうこと、また仮想敵国が世界最強のアメリカであることから、陸上基地や空母がない状況でも戦える手段であった水上機の開発には世界一熱心に取り組んでいました。

「支那事変(日中戦争)」において想定されていない空戦での活躍が続いた水上機は、日本の水上機開発を加速させる大きなきっかけとなりました。
諸島攻略後の航空基地運用までの補助的防御策にも使えるため、日本は1940年に本格的な、そして世界でも類を見ない「水上戦闘機」の開発を始めます。
これが川西航空機に依頼された「十五試水上戦闘機」、のちの「強風」です。

ところが「強風」への要求は困難を極めるもので、フロートなどの空気抵抗やバランスの問題が多い水上機を、当時最強の戦闘機として誕生した「零式艦上戦闘機」よりも速く飛ばせというものでした。
川西はこの難題に様々な対策を講じて立ち向かいますが、「紫電・紫電改」の誕生に繋がったとはいえ、最終的に「強風」は100機に満たない製造数で歴史を終えています。

そんな状況ですから、当然太平洋戦争開戦には水上戦闘機は間に合いませんでした。
日本の侵攻がまずは資源豊富な南西諸島であることが決まった以上、水上戦闘機の配備はより重要案件となり、この「強風」開発の遅れは計画に大きな影を落としかねません。

「零戦」並の水上機の新規開発が間に合わないなら、「零戦」を水上機にすればどうか。

どこからかこんな声が聞えるようになり、そしてそれはすぐに行動に移されます。
「零戦」はすでに三菱重工業中島飛行機で増産が始まっていました。
本来なら水上機転用は開発元である三菱に話を通せばいいのですが、当時の三菱はこの「零戦」の製造で工場はパンク状態な上、陸上機では「一式陸上攻撃機」の製造、さらに「雷電」の開発と大わらわで、とてもこんな状況下で「零戦をお宅であまり作っていない水上機に転換してくれん?」とは言えませんでした。
(同じ理由で「烈風」も開発依頼が1年延期となっています。)

そこで白羽の矢が立ったのが、「零戦」製造に携わり、かつ水上機開発の経験もある中島でした。
海軍は「零戦一一型」の水上機verの「仮称一号水上戦闘機」の開発を至急中島に命じます。

中島は当初開発よりも「零戦一一型」の改造でこの要求に答えようと考えます。
なにせベースの設計図があるとは言え、開発には時間も金もかかりますし、開発完了後も機体は新造になりますからやはり時間も金もかかります。
一方で完成した機体の改造であれば、新造用のラインは不要、機体は完成しているので部品調達は最小限で済む、さらに新造よりも遥かに早く実戦投入ができる。
大型ラインを2つ用意することと、選択と集中に1つ準備が整ったイレギュラーが入ること、緊急を要している事態でどちらが合理的かは言うまでもありません。
「水上戦闘機」の新規開発は現在三菱で進められていた「零戦三二型」をベースに進められる予定でした。

しかし水上機転用はそんな簡単な話ではありません。
なにせ相手は塩分を含む海水です。
真水ならともかく海水は塩害を引き起こすため、しっかりと対策が取られていなければあっという間に腐食が進みます。
さらに「零戦」はちょっとした隙間が多い機体だったため、海水があちこちから入り込む恐れがあり、また軽量化のために使われていたマグネシウム合金は塩分に非常に弱く、このまま改造程度で使ってしまえば瞬く間に機体寿命を迎えてしまうことが発覚。
結局改造による早期配備は立ち消えとなり、やはり設計図をベースとした新造で対応することになります。

1941年12月8日、依頼を受けてから11ヶ月が経過した太平洋戦争開戦のその日、「二式水上戦闘機」試作1号機も水上から大空へ羽ばたきました。
フロートは「強風」「紫雲」同様の単フロートで、安定性よりも運動性能や空気抵抗の軽減を優先させるための採用で、離着水時の安定は両翼に備え付けられた補助フロートでカバーします。
苦労したのはそれによって不足する機体の安定感で、垂直尾翼と方向舵の改良にかなりの時間を要したそうです。

最終的に重量などの関係で「零戦」より速度は落ちましたが、「零戦」「零戦」たる所以、抜群の運動性能もかなりの割合で引き継いでいて、非常に信頼性の高い機体でした。
「二式水上戦闘機」は1942年7月6日に制式採用され、間もなく主戦場となる南方海域や、航空基地の乏しいアリューシャン諸島に配備されていきました。

誕生後の「二式水上戦闘機」の活躍ですが、当然ですが敵艦上戦闘機や陸上戦闘機に対しては流石に分が悪く、撃墜の記録もありますが基本的には性能が劣るために負け戦です。
武装が乏しい爆撃機や偵察機が主な獲物で、その点では期待通りの働きをしてくれました。

しかし戦況は「二式水上戦闘機」の活躍の機会を多くは残してくれません。
性能や開発の意図から、「二式水上戦闘機」はせめて互角の状況でなければ運用は難しい存在でした。
何しろ敵戦闘機とまみえることになると非常に苦戦するのです、戦闘機も含めた万全の航空隊が攻め込んできた場合、「二式水上戦闘機」は逆に獲物になってしまいます。
その際にこちらの航空隊も迎撃態勢が整っていれば話は別ですが、1943年中盤はもうそのような状況でもなく、「二式水上戦闘機」は増備をしても使える場面がなくなってしまったのです。

1943年9月、「二式水上戦闘機」生産終了。
制式採用から1年と少し。
あまりにも日本が劣勢になるのが早すぎました。
そしてこの間に「強風」が完成したかと言われると否。
日本の、そして水上戦闘機の歴史はここで潰えたと言っても過言ではないでしょう。

「二式水上戦闘機」は以後も本土空襲に対する迎撃で戦い続けました。
総生産数は327機とあまり多くはありませんが、しかし水上戦闘機というジャンルそのものが特殊なため、歴史上最も製造された水上戦闘機として名を馳せています。


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