旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


重巡 高雄

重巡洋艦 高雄【高雄型重巡洋艦 一番艦】
Heavy Cruiser  TAKAO 【TAKAO-class Heavy Cruiser  1st】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(処分)
マラッカ海峡
建 造
1927年4月28日 1930年5月12日 1932年5月31日 1946年10月29日 横須賀海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
① 9,850t
② 13,400t
① 203.76m

① 19.00m
② 20.70m
① 35.5ノット
② 34.3ノット
① 130,000馬力
② 133,100馬力
①1932年竣工時  ②1939年(改装完了後)

さらなる高みを目指して 重巡洋艦の完成形 高雄


「妙高型」が建造されてからも、日本は引き続き重巡洋艦の充実に力を注ぎます。
「妙高型」は確かに高火力を発揮した重巡洋艦でしたが、建造中に少なからず不満な点が発生しています。
そこで、その不満箇所を解消し、さらにもっと艦隊の役割を明確にする「高雄型重巡洋艦」の建造が始まりました。

なお、書類上では「高雄型」は日本で最後の重巡洋艦であり、以降の「最上型」「利根型」はともに重巡洋艦に分類されるスペックを持ちながら、「二等巡洋艦」すなわち軽巡洋艦として分類されています(詳しくは【最上】から)。

「高雄型」の特徴してあげられるのは大きく2つ。
1つは大きくなった艦橋。
もう1つは魚雷発射管に次発装填装置を取り付けたことです。

艦橋の大型化は、艦隊旗艦としての能力を最大限発揮する目的がありました。
「妙高型」の設計では戦隊旗艦程度の能力しか発揮できず、その戦隊を取りまとめる指揮官が鎮座する艦隊旗艦には向いていなかったのです。
その点を解消するため、「高雄型」の艦橋は非常に大型化しています。
もっとも、【扶桑】のように高く積み上げられたわけではなく、バランスよく設計されています。
被弾面積が増えるなど海外からは酷評でしたが、特にそのような被害が頻発したわけでもなく、目的通り旗艦を務めることが多い型でした。
今の日本の車でもそうですが、ある程度強度は弱めにしておいて衝撃を吸収、被弾時も炸裂せずに貫通するような工夫はされています。
ただ、改装時に縮小工事は行われました。

面白いことに、この艦橋、現在の海上自衛隊の【イージス艦 こんごう】【あたご】の艦橋によく似ています。
つまり、この艦橋構造は指揮をする上で非常に優れていたということが、現在の船を見ることでわかるのです。

続いて魚雷発射管についてですが、これまでの魚雷発射管は艦内内蔵型で、被弾した際に被害が一気に艦内に及ぶ危険性がありました。
それを解消するために、配置箇所を上部甲板へ変更します。
加えて次発装填装置を取り付けたことで、「妙高型」よりも魚雷発射管の門数は減ったにもかかわらず、同時間内の発射数は増加しています。
この変更は成功を収め、過去の重巡洋艦も改装時にこの方式に変更されています。

妙高と揃って終戦を受け入れる 名艦長を輩出した高雄


【高雄】は太平洋戦史に名を残している艦長を多数輩出しています。
特に有名なのは、真珠湾攻撃時の第一航空艦隊司令長官として、【赤城】をはじめとした航空母艦の総攻撃を指揮した南雲忠一大将(当時大佐)、そして【武蔵】最後の艦長を務め、運命を共にした猪口敏平中将(当時大佐)です。
旗艦の役割を務めれるように設計された【高雄】は、出世街道のかなり上位に位置していた艦でした。

【高雄】は太平洋戦争開戦後、まずはオランダの輸送船の攻撃を行っています。
その後、立て続けに「アリューシャン作戦、第二次・第三次ソロモン海戦、南太平洋海戦」へと出撃しています。
「第三次ソロモン海戦」においては、有名な【霧島】VS【サウスダコタ・ワシントン】の砲撃戦があり、【高雄】【愛宕】とともに【霧島】の援護をしています。

1944年には、大損失を被った「レイテ沖海戦」に参加。
この時は「高雄型」4姉妹が揃って出撃しています。
しかしこの戦いで、「高雄型」は一気に3隻も沈没してしまいます。
すなわち、長女たる【高雄】以外のすべてです。
【米潜水艦 ダーター・デース】の放った魚雷がことごとく命中し、【愛宕・摩耶】が相次いで沈没。
【高雄】も2発の魚雷が命中し、機関やスクリューに甚大な被害を負って停止してしまいます。
唯一無傷であった【鳥海】も、この翌々日の「サマール沖海戦」にて米航空機や駆逐艦の攻撃に耐え切れず、あえなく沈没しています。

沈没こそ免れ、なんとか11ノット程度での速力を回復した【高雄】でしたが、もはや攻撃部隊としての能力を失ったため、【清霜】を伴ってシンガポールへと引き上げることになりました。
本来なら応急処置の後、本土へ帰投する予定でしたが、戦況悪化とシンガポール防衛のために、【高雄】はこの地にとどまることになります。

やがて同じく大破した【妙高】が曳航されてシンガポールへやってきます。
2隻はともに浮き砲台として防衛に努めますが、ついに1945年8月、日本は終戦を迎えました。
2隻のネームシップは揃って生き残りましたが、その後イギリスに買収された末にマラッカ海峡で海没処分されることになりました。


このエントリーをはてなブックマークに追加

⇐妙高型重巡洋艦 羽黒 高雄型重巡洋艦 愛宕⇒




↑ PAGE TOP

inserted by FC2 system