旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


戦艦 伊勢

戦艦 伊勢【伊勢型戦艦 一番艦】
Battleship  ISE 【ISE-class Battleship 1st】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(解体) 建 造
1915年5月10日 1916年11月12日 1917年12月15日 1946年以降 川 崎 造 船 所
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
① 29,990t
② 35,800t
③ 35,350t
① 208.18m
② 216.00m
③ 219.62m
① 28.65m
② 31.75m
③ 31.71m
① 23.0ノット
② 25.4ノット
③ 25.3ノット
① 45,000馬力
② 80,000馬力
③ 80,000馬力
※①1918年(竣工時  ②1937年(大改装完了後)  ③1943年(航空戦艦改装完了後)

柔軟な発想から生まれた航空戦艦 出番なく


もともと【伊勢・日向】は、「扶桑型」の三番艦・四番艦として建造される予定でした。
ところが、予算がなかったため工期の延期、さらに「扶桑型」から見つかった数々の欠陥から、急遽設計段階からの計画変更を行い、「伊勢型」として再スタートしました。

「扶桑型」からの脱却として、まずは主砲の配置変更。
「扶桑型」の主砲は被弾危険箇所や爆風等、様々な問題を生み出す配置となっていたため、爆風よけの壁を設置したり、背負式配置にするなどして主砲の使い勝手を向上させました。
そして「扶桑型」で最も問題視された防御面ですが、上記の配置変更や装甲の厚さ、船体の長さなどで改善は見られるものの、実はそれほどいいものとは言えないようです。

【伊勢】で最も問題とされたのが、その劣悪な居住性と操舵の難しさです。
スペースが全体的に小さくなった弊害はすべて人が通る場所に現れ、とにかく狭く、使いづらい環境だったようです。
また操舵性は、舵をきることではなく、逆に直進するのが難しかったと言われています。
そのかわり、舵を切るのはとても簡単だったそうです。

【伊勢】「扶桑型」に続いて第一次改装を行っていますが、内容は防御力の強化だけではなく、ボイラーの換装や射程距離の改善等、多岐にわたりました。
この改装は見事成功し、太平洋戦争開戦時では世界水準に達するものとなっていました。
「扶桑型」からの脱却は、この改装をもって一定程度は証明されたのです。

しかし、太平洋戦争は【伊勢】の行く末を大きく揺さぶります。
「ミッドウェー海戦」により、世界一と称された日本の正規空母は、主力の四隻を一気に失うこととなりました。
この穴埋めは急務で、帝国海軍は「雲龍型航空母艦」の建造を優先すると同時に、老齢になりつつあった「扶桑型・伊勢型」の空母改造計画が持ち上がりました(「金剛型」は機動力があったため却下されています)。

そこで、【日向】「ミッドウェー海戦」以前に起こした5番砲塔爆発事故に着目し、「どうせ改装するなら、砲塔が壊れている【日向】とそれの姉妹艦の【伊勢】でいいだろう」ということで、「伊勢型」の二隻が改装されることになりました。

しかしさすがに全主砲や艦橋等を取っ払った完全なる空母改造には時間がかかりすぎました(およそ1年半と算出されています)。
そこで浮上したのが、戦艦の能力をある程度維持する一方で、後部甲板から艦載機も飛ばすことができる「航空戦艦」としての改装です。

1943年、約8ヶ月の改装工事は終了し、【伊勢】は航空戦艦として新しい門出を迎えました。

航空戦艦 伊勢
(航空戦艦時代の伊勢)

しかし、肝心の飛ばす艦載機が当時は全く足りませんでした。
艦上爆撃機「彗星」、水上爆撃機「瑞雲」ともに製造が遅れていたため、結局改装したにも関わらず、【伊勢】【日向】とともに「戦艦」として出撃することとなります。

副産物が伊勢の寿命を伸ばすことに


【伊勢】はいよいよ「レイテ沖海戦」へ参加します。
しかしこの作戦は、敵へ損害を与えることはできず、逆に帝国海軍は囮として貴重な空母を戦場へ泳がして沈めてしまうという、全く実入りのない戦果となってしまいます。
その中で【伊勢】は、航空戦の中で航空戦艦となって得た力を遺憾なく発揮しています。

急降下してくる爆撃機の爆弾を、その軽い舵で華麗にかわし、弾幕射撃やカタパルトに増設した12cm28連装噴進砲によって敵艦載機を数多く撃ち落としていました。
艦載機こそ飛ばせなかったものの、そのカタパルトによって対空装備が大幅に増え、【伊勢】は圧倒的大敗北を喫した「レイテ沖海戦」で数少ない戦果を収めたとも言えるでしょう。

戦艦 伊勢
(エンガノ岬沖海戦で主砲を放つ伊勢)

続く「北号作戦」では、いよいよカタパルトを撤去して、【伊勢】【日向】は完全なる戦艦へと戻ってしまいます。
しかし「北号作戦」は燃料の輸送作戦、大きな空きスペースを手に入れた【伊勢】【日向】は、今度もまた、かつて航空戦艦であったからこその役割をまっとうすることになりました。
旋回性能の高さと豊富な機銃、高角砲を駆使し、戦艦にもかかわらず潜水艦を沈めるなどの戦果を収めた上、5割帰還で御の字と言われたこの作戦をなんと全艦無傷で完遂しました。

その後、燃料不足により【伊勢・日向】は呉の浮き砲台として終戦の時を待ちます。
米軍の空襲により、7月26日に【日向】が、7月28日には【伊勢】がついに大破着底、その際に【伊勢】放った砲撃が、大日本帝国海軍所属戦艦の、最後の砲撃となりました。

戦艦 伊勢
(呉で爆撃を受ける伊勢)

戦況に翻弄された【伊勢・日向】はしかし、任された仕事ではしっかり結果を出し、終戦のその日まで残った数少ない艦でした。
そして姉妹が揃って生還した唯一の軍艦でもありました。


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