旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 夕風

駆逐艦 夕風【峯風型駆逐艦 十番艦】
Destroyer  YUKAZE 【MINEKAZE-class Destroyer 10th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(解体) 建 造
1920年12月14日 1921年5月28日 1921年8月24日 1947年8月 三菱長崎造船所
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,215t 102.6m 8.92m 39.0ノット 38,500馬力






峯風型で唯一、駆逐艦として一生を終えた夕風


【夕風】は1928年、浦賀水道で行われていた少演習の最中に【島風】と衝突してしまいます。
【夕風】は幸い軽微な損傷でしたが、【島風】は艦首に大きなダメージを負ってしまいます。

「支那事変(日中戦争)」では華中の沿岸での作戦に参加。
その頃から【夕風】はよく【鳳翔】の随伴艦として航行することになります。
一時予備艦に格下げさますが、太平洋戦争を目前にして異例の現役復帰を果たします。
「ミッドウェー海戦」にも参加し、【鳳翔】の隣で戦況を見守っていましたが、結果は予想を覆す大惨敗。
【夕風】は沈痛な面持ちで日本へと戻ります。

その後、練習艦となった【鳳翔】の隣にはやはり【夕風】がいました。
依然駆逐艦籍ではありましたが、「トンボ釣り」や標的艦を務め、主に内地で活動を続けます。

1945年には、【夕風】一の成果とも言える、【海鷹】の曳航を成功させています。
別府で標的艦として訓練を行っていた【海鷹・夕風】ですが、その最中に空襲にあい、【海鷹】は魚雷を受けて航行不能になってしまいます。
幸い時間は夜も近い夕刻16時半だったため、当日の空襲は避けられましたが、しかし翌日には当然攻撃が予想されました。
なんとか【海鷹】を岸まで運ばなければ。
そのためにできることは、【夕風】が曳航することだけでした。

排水量1200tの、旧式の駆逐艦が、小型とはいえ13000tを有する空母を曳航するのです、並大抵のことではありません。
しかしやらねば【海鷹】は沈みます。

【夕風】は28mmワイヤーを1番砲塔へ巻きつけ、22時にようやく曳航が始まります。
速度はたった2ノット。時速にしておよそ4kmです。
曳航中に1番砲塔基部で油漏れが発生、さらに夜間にも空襲があり、この曳航作業は緊張が走り続けていました。

翌朝午前8時、曳航は最終段階を迎えます。
あとは惰性と押し込みで坐洲させるところまで【海鷹】を曳航し、【夕風】はワイヤーを切り離します。
しかし突然13000tもの重さから解放された【夕風】は岸へ向かって突進。
ギリギリ回避するものの、スクリューが海底の泥を巻き上げており、かなり危険なところまで迫っていました。
そして【夕風】は艦首に防舷物をしっかりと巻きつけ、艦首と艦尾をそれぞれ押しながら【海鷹】を無事浅瀬まで送り届けたのです。

これは、帝国海軍唯一の駆逐艦による空母曳航例でした。

【夕風】「峯風型」で唯一駆逐艦に籍をおいたまま終戦を迎え、その後19回にも及ぶ復員輸送を行った末、賠償艦としてイギリスへ引き渡されて解体されました。


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