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駆逐艦 吹雪

駆逐艦の歴史を変えた特型駆逐艦のすごさとは


もともと駆逐艦は小型ゆえに波に弱く、凌波性が乏しい存在でした。
外洋は巡洋艦以上の大きさを持つ艦艇の領域だったのです。
一方駆逐艦は、たとえ外洋に出ても安定性を重視するために高速航行はなかなか難しく、外洋に出るときは決まって護衛任務。
基本的には沿岸部や近海程度でしか戦闘は行えないというのが共通の認識となっていました。

ところがこの特型駆逐艦は、世界の常識だった駆逐艦の運用方法を真っ向から否定し、「駆逐艦こそ敵艦隊の漸減戦力の中枢である」と訴えたのです。


先の「睦月型」は当時の世界水準から見ると高性能な駆逐艦でした。
「神風型」から魚雷兵装が強化され、凌波性も改善したことで実質的な速度低下は防ぐことができました。
さらに予備魚雷も搭載するようになり、より戦闘での活躍が期待される存在になっていました。

しかし軍令部は、「睦月型」程度では全く満足していませんでした。
第一次世界大戦の「ユトランド沖海戦」は、各国の巡洋艦や戦艦の防御力向上を促す事となる重要な海戦でした。
つまり、それらを打ち破るほどの攻撃力を備えなければなりません。
駆逐艦にとって攻撃力とは「火力・雷装・速度」の組み合わせです。
ということはつまり、「とにかく全部強くしろ」ということでした。

この無茶苦茶な要望を前にして真剣に取り組んだのが、「特型駆逐艦対策委員会」のメンバーです。
平賀譲氏と並び、日本の艦艇設計において多大な功績を残した藤本喜久雄造船大佐を基本計画主任におき、「特型駆逐艦」の設計が立てられることになりました。

まず火力ですが、これは「睦月型」で採用されていた12cm単装砲4基から大きく飛躍して12.7cm連装砲(A型)が3基6門となります。
これだけでも当時としては恐るべき改革で、門数が2門増えたことは当然ながら、射程3km増、仰角7度増、そして砲塔を1基減らすことができるメリットもありました。
そしてこの砲塔ですが、「睦月型」までの12cm単装砲は全面が覆われて防護策が講じられていたわけではなく、後部は開放されていました。
故に波浪の波や戦闘中に飛び散る破片が特に後方から襲いかかり、砲撃に集中ができませんでした。
しかし12.7cm連装砲(A型)はこれを砲塔化し、全面を防盾で覆うようにしました。
これにより砲手は無意味な妨げを受けることがなくなり、より効果的な砲撃につながりました。
第2、第3砲塔は背負式を採用し、省スペース化に一役買っています。

続いて雷装ですが、これは上記のように発射管を設置するスペースを確保することができたため、61cm三連装魚雷発射管をさらに1基増備し、計3基となりました。
次発装填装置はまだ搭載はされませんでしたが、予備魚雷も同数の9本を確保。
同方向に一斉に放てる数が9本であるのは、【島風】に次いで日本駆逐艦では2位の数字です。
魚雷は当初は八年式魚雷で、のちに九○式魚雷へと変更されることになります。

そして、速度。
もちろん兵装が増えれば排水量も増え、その結果速度低下も起きてしまいます。
速度を高めるにはタービンや缶の性能を高めるのが一般的な考え方ですが、当時の艦本式タービン・艦本式ロ号缶はともに十分高性能な存在となっていました。
となれば、残された手段は軽量化です。
「特型駆逐艦」は建造の際、当時まだ技術力が未熟だった電気溶接なども積極的に採用し、排水量の削減に務めました。
また船体全体の設計も、「睦月型」よりも極力大きくならないように設計されていますが、10mほどの肥大化は免れませんでした。
それでも、凌波性の格段の向上によって、最高速度は39ノット。
設計段階では38ノットと記されていた「特型駆逐艦」ですが、公試では39ノット前後の速度を出す事例が多くあり、「特型駆逐艦」は設計・建造者の予想をも覆すほどの力を発揮しました。

この速度に大きく関係してくるのが、実は「特型駆逐艦」が当時圧倒的世界一の駆逐艦になった最大の理由である、外洋航行能力です。
外洋航行能力は読んで字の如く、近海ではなく、外洋でしっかり航行できるかどうかというものです。
冒頭でも述べたとおり、駆逐艦には外洋で発生する荒波に対処できるほどの凌波性は持っていませんでした。
とにかく小さいですし、あらゆる方向から襲ってくる波によって速度低下どころかまともな航行すら困難になります。
軽巡洋艦ほどの大きさだと、多少凌波性が犠牲になっていても安定感があるため航行は可能になりますが、船体の小さな駆逐艦では、凌波性を向上させるしかありませんでした。

「特型駆逐艦」はこの最大の課題も見事克服します。
「特型駆逐艦」は艦首の上甲板を反らす「艦首シアー」を大きくし、乾舷を高めています。
さらにシアーの幅を広くする「フレア」も強化し、波に突っ込んでも左右へ波が逃げるように設計されました。
この「フレア」は甲板中央部付近まで広げる徹底ぶりでした。
結果、トップヘビーにはなってしまいますが、「特型駆逐艦」はその活躍の場が世界中のあらゆる海へと変貌することになります。
そしてその凌波性は、5,500t級軽巡洋艦を上回るほどの素晴らしさでした。

「特型駆逐艦」誕生の瞬間から、帝国海軍の実質的な戦力は今後建造される駆逐艦の数だけ増えることとなり、すでに「特型駆逐艦」以前のクラスの駆逐艦が飽和状態で新型駆逐艦の建造が停滞していた世界との距離を一気に引き離しました。

唯一欠点を上げるとすれば、航続距離が14ノット:5,000海里という目標を達成できなかった点でしょうか。
それでもその他の要求をほぼ全て叶えてしまった「特型駆逐艦」は、完璧ではなくても完成された存在でした。
排水量も370tほどの増で抑えることができた点も見逃せません。
大きくなればなるほど、的になってしまいますので、駆逐艦は小型化も常に追求されていました。
さらに艦橋もこれまでの露天型から密閉型へ変更、医務室まで併設できるなど、戦闘面以外の改善も大きく施されました。

この化物のような駆逐艦を見たアメリカは、「うちの駆逐艦300隻と特型駆逐艦50隻を交換してくれ」と口にしたそうです(隻数は諸説あります)。
ところが、米軍はその後も高性能駆逐艦ではなく、シンプルで早期建造が可能な駆逐艦に注力しているところを見ると、皮肉ですね。


このように、「特型駆逐艦」は一躍世界の大スターとなり、「ロンドン海軍軍縮会議」は重巡・軽巡の分類とともに、駆逐艦クラスの制限にも言及されることとなったのです。
それほど「特型駆逐艦」は世界に驚異的なインパクトを与えた存在でした。

「特型駆逐艦」は大きく「特Ⅰ型・吹雪型」「特Ⅱ型・綾波型」「特Ⅲ型・暁型」と分類され、それぞれで主砲や性能が向上しています。
そして合計24隻が建造され、後の「陽炎型・夕雲型」よりも多い、一等駆逐艦トップの大所帯となっています。


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