旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 潮

駆逐艦 潮【綾波型駆逐艦 十番艦】
Destroyer  USHIO 【AYANAMI-class Destroyer 10th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(解体) 建 造
1929年12月24日 1930年11月17日 1931年11月14日 1948年8月 浦 賀 船 渠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,680t 118.52m 10.36m 38.0ノット 50,000馬力






危機を人知れず回避してきた、生き残り組の潮


【潮】は数多い「特型駆逐艦」の中で、唯一酸素魚雷を搭載したという正式な記録が残されている駆逐艦です。

【潮】【曙・漣】とともに第七駆逐隊を編成して太平洋戦争に挑みました。
【潮】【漣】と一緒にその開戦を告げる砲撃をミッドウェー島へ向けて放っています。

12月30日、【潮】は豊後水道沖に米潜水艦発見との報告を受けて急遽出撃するのですが、その際に誤って機雷を1つ落としてしまいます。
その機雷は爆発することなく、回収もできなかったためやむなくそのまま放置されていました。
そして1年半後、ここである事件が発生します。
【陸奥】の謎の爆沈です。
後年、【潮】に乗船していた通信士はこの爆沈の原因を、誤って投下した機雷ではないのかと語っていましたが、現在では【陸奥】の爆発の原因は船体内にあることがわかっており、この説は否定されています。

1942年2月27日、【潮】は多くの艦艇とともに輸送船50隻を輸送する大型輸送作戦を実施しました。
ところがそこへ米連合艦隊が迫ってきます。
「スラバヤ沖海戦」の勃発です。
【潮】は魚雷9本全発を発射しますが命中はなく、前部煙突が半分ほど吹き飛ばされる被害を負っています。

それから間もなくもしない3月2日、【潮】【米潜水艦 パーチ】と遭遇し、爆雷を投下します。
この爆雷は【パーチ】に損傷を負わせ、翌日にはその被害の影響で浮上していた【パーチ】を再び襲撃し、撃沈させています。

それ以後、【潮】「珊瑚海海戦、アリューシャン方面の戦い、ショートランド泊地攻略」など、数多くの海戦に参加しました。
「珊瑚海海戦」では【翔鶴】が一方的な攻撃を受けて大炎上します。
辛くも戦場から逃げ出した【翔鶴】を追って、【潮】は性能諸元の38ノットを超える40ノットの速度を叩き出します。
が、なんと【翔鶴】はその速度を持ってしても追いつけず、つまり【翔鶴】は大型空母なのに40ノット以上の速度で爆走していたことになります。
この速度は数ある説の中で最も速いものであり(34ノット、30ノット等、数多くあります)、また本当に駆逐艦が空母に追いつくことができなかったのか、という点では賛否ございますが、少なくとも諸元以上の快速航行は猛烈な過負荷をもってすれば可能ではあります。

やがて「レイテ沖海戦」に突入するのですが、先に突撃していた西村艦隊の壊滅によって攻撃は中止。
【潮】はあとから戦場に到着するも、逆に魚雷を受けてしまった志摩艦隊【阿武隈】を護衛しながら退避することになります。
ミンダナオ島にひとまずは落ち延び、応急処置を行った後に【阿武隈】をコロンへと送り届けることになりましたが、その途中で空襲に巻き込まれた【阿武隈】は3発の直撃弾を受けるなど大きな被害を負います。
やがて船体断裂により沈没した【阿武隈】の乗員を【潮】は救出しています。

その後は輸送・護衛任務に従事することになりましたが、しかし11月にはマニラ湾で空襲を受けて主機にダメージを負ってしまいます。
そしてその損傷は、【潮】の中で戦争を終結させることとなり、終戦まで【潮】は横須賀で係留され続けました。

【潮】が使用していた兵装は撤去され、そして主砲は【響】が受け継ぐことになります。

【潮】【曙】に責任問題が集中したり、米軍が【潮】めがけて放った魚雷が【阿武隈】に直撃したり、「第一次ソロモン海戦」はその直前の輸送船襲撃が空振りに終わったことにより不参加であったり、「レイテ沖海戦」では先の戦闘の敗北により攻撃中止となったりなど、【潮】が関わっていないところで【潮】が守られる事態が多く発生していました。

【曙】【潮】とともに行動することが多く、そのぶんの不幸を被っているとも言われましたが、【潮】【曙】とたくさんの作戦を共にし、そして【曙】が中破した時も港まで曳航するなど、彼女のパートナーとして最後まで一緒に戦いました。


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