旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 椿

駆逐艦 椿【松型駆逐艦 十五番艦】
Destroyer  TSUBAKI【MATSU-class Destroyer 15th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(解体) 建 造
1944年6月20日 1944年9月30日 1944年11月30日 1948年7月28日 舞鶴海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,262t 100.0m 9.35m 27.8ノット 19,000馬力






イタリア艦の護衛も1日経たずに頓挫 椿


【椿】は第十一水雷戦隊での訓練の後、2月5日に舞鶴から瀬戸内海へと回航、【櫻】とともに第一海上護衛隊の指揮下に入ります。
16日には「モタ38船団」の護衛を務めています。
そして3月15日には【櫻・楢・欅・柳・橘】とともに第五十三駆逐隊を編成いたしました。

4月に入ると、第ニ次世界大戦で降伏したイタリアの大型客船【コンテ・ヴェルデ】を日本に回航する案が持ち上がります。
【コンテ・ヴェルデ】は自沈処分の後に浮揚されており、一度死んだ【コンテ・ヴェルデ】には【寿丸】という仮称が与えられます。
【コンテ・ヴェルデ】の再活用は1944年6月から行動に移されており、浮揚作業中の8月に爆撃を受けて作業は一からやり直し、12月に浮揚が完了すると、機関等の修理が始まり、1945年4月に晴れて自力航行ができるまで回復しました。

4月10日、【寿丸】【椿】【砲艦 宇治、第21号掃海艇】に護衛されて上海を出発し、舞鶴を目指します。
しかし【椿】は18時頃に航路にあった磁気機雷に触れてしまい中破、【寿丸】の護衛には新しく【樅型駆逐艦 蓮】が回されて、【椿】は上海の江南造船所で修理を受けます。

修理完了後の5月8日、「シモ04船団」の護衛で戦列復帰をした【椿】は、大きく迂回して17日に山口県の油谷湾へと到着。
その後、呉鎮守府所属となり、先の被雷による損傷の本格的な修理を受けることになりました。
ところが江南造船所で手配された発電機がどうにも調子が良くなかったため、修理は難航します。
代替の発電機の手配もままならず、1ヶ月半が経過した7月の時点でも18ノット航行がやっとの状態でした。

そんな折、瀬戸内海はアメリカの空襲によって大きな被害を負います。
当時岡山付近の備讃瀬戸へと移動していた【椿】も7月24日と28日の空襲によって中破し、そしてそのまま終戦までの時を待ち続けることになります。
終戦後は1948年になるまで放置されていましたが、7月28日にようやく解体されています。


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