旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 玉波

駆逐艦 玉波【夕雲型駆逐艦 九番艦】
Destroyer  TAMANAMI 【YUGUMO-class Destroyer 9th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
マニラ湾西
建 造
1942年3月16日 1942年12月26日 1943年4月30日 1944年7月7日 藤永田造船所
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
2,077t 119.0m 10.8m 35.5ノット 52,000馬力







護衛が代表的任務となった主力駆逐艦 玉波


【玉波】は竣工後に訓練部隊である第十一水雷戦隊に所属。
6月に横須賀へ向かうと、遠州灘で潜水艦の魚雷を受けて擱座した【特設水上機母艦 相良丸】の救援に【若月】とともにあたります。
これが【玉波】の初任務でした。

7月1日に【玉波】は第二水雷戦隊に配属され、【冲鷹、水上機母艦 日進】を護衛しながらトラック島まで進出。
以後、3ヶ月ほどはほとんどを護衛任務や輸送任務で過ごすこととなります。

10月には第三十二駆逐隊に編入されますが、任務は変わらず護衛であり、その後も年内は「ラバウル空襲」に巻き込まれた以外(【玉波】は無傷)は大きな出来事がありませんでした。
【最上】を護衛して呉へ戻ると、【玉波】も修理に入り、日本で年越しを迎えます。

1944年1月、【玉波】【高雄・千代田・瑞鳳】を護衛しながらトラックへ戻ります。
しかし2月に「クェゼリン島の戦い」で日本軍が玉砕、南方海域の大きな拠点であったトラックすらも敵の手中に落ちるのは時間の問題となり、日本はトラック島からの撤退を決断。
【武蔵】を護衛しながら艦隊は日本へと戻ることになりました。
【玉波】は横須賀へ戻らずに呉へ向かい、そこで機銃とレーダーを増設されています。

5月、訓練を経て【玉波】【武蔵】らとともにタウイタウイへ向けて出発。
【玉波】はここでも再び護衛任務を主とした活動を続けました。

7月、【玉波】は航行中に【米潜水艦 ミンダ】の存在を探知。
【ミンダ】【玉波】の存在に気づき、ここで2隻の戦いが勃発します。
【玉波】【ミンダ】の捜索を続け、爆雷を12発投下しますが、【ミンダ】は潜行してこの攻撃を回避。
しかし【ミンダ】の艦尾から発射された魚雷もまた、【玉波】に当たることはありませんでした。

1時間ほど互いの隙を伺う緊迫した時間が続き、そして動いたのは【ミンダ】でした。
4発魚雷はうち3発が【玉波】に命中し、【玉波】は敗北します。
艦首から沈没していった【玉波】は、後に【藤波】が救援に向かうものの、ついにその手がかりを見つけることができませんでした。


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