旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 睦月

駆逐艦 睦月【睦月型駆逐艦 一番艦】
Destroyer  MUTSUKI 【MUTSUKI-class Destroyer 1st】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
第二次ソロモン海戦
建 造
1924年5月21日 1925年7月23日 1926年3月25日 1942年8月25日 佐世保海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,315t 102.72m 9.16m 37.25ノット 38,500馬力







駆逐艦の雷撃能力向上を求めて 三連装搭載の睦月型


「峯風型・神風型」が含まれる「八八艦隊計画」が計画される中、遠く欧州では第一次世界大戦が勃発しており、英独の激しい戦いが繰り広げられていました。
各国はこの艦艇同士の戦いが起こる大戦の行く末を観察し、自国の戦力増強の大切な情報としていました。
その中で、駆逐艦への要求が大きく変わる海戦が起こります。
「ユトランド沖海戦」です。

「ユトランド沖海戦(ジュットランド海戦)」は、英独合わせて250隻の艦艇が戦場に現れた、第一次世界大戦最大の海戦です。
この戦いは、駆逐艦だけでなく、多くの戦術や艦艇構造に影響を与えた、歴史上でも非常に重要な戦いとなります。
駆逐艦に絞って言えば、ドイツ軍の水雷戦隊部隊を迎え撃ったイギリス軍の駆逐艦は、その火力を持って水雷戦隊を撃退。
本来駆逐艦に求められていた任務が、駆逐艦には求められていなかった火力によって阻まれたのです。

日本の「八八艦隊計画」はこの海戦を踏まえ、高速な戦艦の建造と同時に、水雷戦隊の任務遂行のために超火力な巡洋艦の計画を立てていきます(のちの重巡洋艦)。
しかし、この「八八艦隊計画」「ワシントン海軍軍縮条約」によって断念、日本の艦艇編成計画は大きく転換することとなります。
「神風型」27隻の計画はたった9隻に減少、日本は数においてアメリカと圧倒的な差をつけられてしまいます。

数で戦えない以上、日本は能力で上回るしかありません。
その時の駆逐艦に不足していたものはただひとつ、魚雷兵装でした。
火力も凌波性も速度もさほど問題がなかった「峯風型・神風型」でしたが、水雷戦隊によって敵勢力を削ぎ落とすには、速力と並ぶ最大の武器である魚雷能力の向上が不可欠だったのです。
なにしろ魚雷は一発で航行に甚大な被害が出る切り札です。
これを磨かずに、大国との戦闘での勝利はありえません。

「睦月型」は、従来の53cm魚雷連装発射管から、61cm魚雷三連装発射管へと装備を変更。
装備数は連装発射管3基から、三連装発射管2基と、どちらも6門には変わりありません。
なぜ三連装にしたのかは、それは船体の大きさと装備の重量にあります。
船体はこれまでの「峯風型・神風型」と変わりませんが、装備と魚雷は当然大型化します。
これまでと同じ配置箇所に61cm魚雷連装発射管は配備できなかったのです。

そこで採用された三連装発射管2基ですが、これらは1、2番砲の間と3、4番砲の間に設置されます。
加えて、「睦月型」は初めて予備魚雷を6本搭載。
「神風型」は2本だったため、6本全てを打ち直すには補給艦などのサポートが必要でした。
しかし「睦月型」は、次発装填装置はないものの、補給を受けずに2回の斉射が可能となり、より戦闘能力が向上しました。

一方で、弊害はやはり重量・防御力に現れます。
艦首形状がスプーン・バウからダブルカーヴドバウへと変更されたため、凌波性が改善され、速度の低下は防ぐことができました。
しかし予備魚雷6本を載せたり、またそのスペースの確保などで装甲が薄くなり、重心も上昇。
安定感に不安が残る構造となりました。

とはいえ、61cm魚雷三連装発射管は今後の駆逐艦の標準装備となり、「睦月型」は太平洋戦争では旧式ながらも、その水雷能力の高さから戦闘にも駆り出されることになります。
「睦月型」「神風型」よりも多い12隻の建造が決定。
【睦月】はその一番艦として、1926年に誕生します。

姉が二人いる睦月 緒戦に多く参加も早期離脱


【睦月】はネームシップですが、竣工は3番目になります。
「睦月型」1番手は【皐月】、次いで【如月】が先に竣工しています。
【睦月】は当初は「神風型」から続いて「第十九号駆逐艦」とされ、1928年に【睦月】と改称されます。

1935年、【睦月】は多数の船に被害が出た「第四艦隊事件」に巻き込まれ、艦橋が圧壊して大破してしまいます。
「睦月型」では他にも【菊月】が同様の被害を受けています。

太平洋戦争に突入すると、【睦月】【如月・弥生・望月】で第三十駆逐隊を編成。
【睦月】は早速「ウェーク島の戦い」に参加しました。
しかし「真珠湾攻撃」の大勝利の一方で、「ウェーク島の戦い」は予想外の苦戦を強いられ、日本は早くも【疾風・如月】の2隻の駆逐艦を失います。
第三十駆逐隊は、初戦で1隻を欠いてしまいます。

その後もラバウル方面や「ポートモレスビー攻略作戦」など、多くの南方での作戦に参加、【睦月】は各所に姿を表しました。
そして1942年6月、【睦月】「ガダルカナル島の戦い」へと赴きます。
この「ガダルカナル島の戦い」は、一進一退ながらも日本は遂に勝機を見いだせず、ヘンダーソン飛行場への攻撃も致命傷には至っていませんでした。

「第二次ソロモン海戦」において【睦月】【神通】率いる第二水雷戦隊とともに飛行場の再襲撃を行いましたが、その後、輸送船団と合流してゆっくりと戦場から離脱しようとしていたところに、米艦載機の反撃が行われました。
【神通】が被弾し、また輸送船も【金龍丸】が大破炎上します。
【睦月】【弥生・哨戒艇1号・哨戒艇2号】とともに【金龍丸】の乗員を救助し、その後【睦月】の魚雷によって【金龍丸】は雷撃処分されました。

しかし魔手は【睦月】にも襲いかかります。
【睦月】は処分直後に米爆撃機3機の投下した爆弾によって炎上。
およそ1時間後に沈没してしまいました。


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