旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 舞風

駆逐艦 舞風【陽炎型駆逐艦 十八番艦】
Destroyer  MAIKAZE 【KAGERO-class Destroyer 18th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
トラック島空襲
建 造
1940年4月22日 1941年3月15日 1941年7月15日 1944年2月17日 藤永田造船所
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
2,000t 118.5m 10.8m 35.0ノット 52,000馬力







輸送の日々の中、トラック島の炎に焼きつくされた舞風


【舞風】【野分・嵐・萩風】とともに第四駆逐隊を編成、第四水雷戦隊に所属することになります。
しかし太平洋戦争開戦後は四水戦とは別行動となり、南方作戦に参加することになりました。

1942年からは「ジャワ機動作戦、ベンガル湾機動作戦、セイロン沖海戦」に参加。
【萩風】と第二小隊を組み、これらの作戦で攻略支援を行っています。

6月には「ミッドウェー海戦」に出撃、日本の勢いそのままにミッドウェー島の攻略に勇んだ帝国海軍でしたが、その裏では油断としか思えない杜撰な情報管理、指揮系統が蔓延しており、そして見事にその穴につけ込まれることになります。
索敵も攻撃準備もうまくいかなかった機動部隊はあっという間に炎に包まれ、【赤城・加賀・蒼龍】が大破。
辛うじて【飛龍】だけがまだ戦闘能力を保持していましたが、その攻撃を支援できる余裕ではありませんでした。

【舞風】【萩風】とともに【加賀】の乗員を救助します。
しかしその最中に【米潜水艦 ノーチラス】が現れ、【舞風・萩風】は必死に自身の沈没の危機を排除しています。
やがて一航戦の一角、【加賀】が沈没。
もう一角の【赤城】は飛行甲板こそ燃え盛る炎に包まれていたものの、船体は無事だったため、沈む気配はありませんでした。
翌日早朝、一時は消火も考えられた【赤城】でしたが、やがて雷撃処分が決定。
【舞風】を除く3隻の第四駆逐隊の雷撃のうち、【嵐・萩風】の魚雷によって日本の快進撃を牽引してきた【赤城】は艦首を空に仰いで沈んでいきました。

8月からは日本の趨勢を決める「ガダルカナル島の戦い」が始まり、【舞風】はこの戦いで多くの輸送任務に就く他、重要な海戦にも参加しています。
8月24日には「第二次ソロモン海戦」【比叡・霧島】の護衛として参加していますが、この海戦では一航戦の裏で数々の戦果を上げ続けたベテランの【龍驤】が撃沈され敗北。
さらに10月26日の「南太平洋海戦」では、勝利するもののその代償が大きく、機長な艦載機が無数に失われました。
【舞風】は空母はじめ損傷艦の護衛をしながらトラック島へと戻っています。

1943年1月、年明けから行われたラエの輸送作戦中、【舞風】【磯風】と共同で【米潜水艦 アルゴノート】を沈めています。
しかし翌2月には「ガダルカナル島撤退作戦」中に空襲を受けてしまい、至近弾を受けた【舞風】は航行不能となってしまいます。
【長月】に曳航されてショートランド泊地まで避難した【舞風】は、応急処置を受けた後、【浜風・満潮】とともに横須賀へと向かいました。

7月に復帰した【舞風】は再びトラック島へと戻るのですが、8月には第二小隊でともに奮闘した【萩風】「ベラ湾夜戦」で一方的な砲撃を受けて沈没。
【嵐】も同海戦で沈没し、第四駆逐隊はいきなり【野分】との2隻体制となってしまいました。
それに伴い、9月には【山雲】が第四駆逐隊に編入。
ひとまず3隻体制を回復することができました。

輸送任務を引き続きこなしていた【舞風】ですが、12月には【野分】とともに【金剛・榛名】を護衛して佐世保へ帰投。
その後横須賀へ回航した2隻は、年越しを日本で迎えました。
明けて1943年1月、【舞風・野分】【愛宕】を護衛してトラック島へ戻ります。
到着後は再び輸送任務に就きます。

2月16日、トラック島近海で【阿賀野】が潜水艦の魚雷によって沈没。
トラック島に静かに危機が迫っていました。
この地獄の空襲を予見していた【時雨・春雨】は予め離脱に備えていたため、一命を取り留めることができましたが、【舞風】はその限りではありませんでした。

同日、【舞風・野分・香取】【特設巡洋艦 赤城丸】を護衛して日本に向けて出発する予定でした。
しかし【赤城丸】へ輸送物資を運搬する作業が手間取ってしまい、出港は翌日の17日に延期となりました。
この1日が、【舞風】の運命を変えてしまいます。

2月17日早朝、【米空母 ヨークタウン(二代目)、エンタープライズ、エセックス】が無数の艦載機を発艦させ、トラック島を火の海へと変えます。
断続的に行われる空襲によって軍艦のみならず商船や輸送船などが次々と破壊されていきます。
またトラック島にあった零戦も完膚なきまでに破壊され、100機もの零戦が陸上でその運命を終えています。

やがて【舞風】もその爆炎の中に飲み込まれていきます。
以下の被害は米軍報告になりますが、【ヨークタウン】発艦機が爆弾3発、【エンタープライズ】発艦機が前部砲塔に爆弾1発、至近弾9発、さらに【エセックス】発艦機が艦中央部に爆弾1発を報告。
駆逐艦1隻に対して考えられないほどの被害がもたらされました。
【舞風】に乗船していた磯久研磨第四駆逐隊司令(当時大佐)【野分】に救援、移乗を求めましたが、この豪雨のように降り注ぐ砲弾の雨に近づくことすらできず、また【野分】も必死にその雨をかいくぐっていたため、ついにこの命令は果たされることがありませんでした。
【赤城丸】も空襲によって爆沈し、同艦に乗船していた多くの民間人も亡くなっています。

やがて、空襲が収まります。
しかし撤退したわけではありません、洋上の要塞である戦艦がとどめを刺すためのお膳立てが整ったのです。
【ニュージャージー・アイオワ】を中心とした米艦隊が、崩壊したトラック泊地に現れました。
航行不能とはいえ、この時点でまだ存命だった【舞風】と、大炎上をしている【香取】へ向けて、今度は艦隊からの砲撃がはじまります。
すでにボロボロだった【舞風】は、さらに1時間の砲弾を浴び続け、爆散、船体断裂、黒煙を上げながら沈没。
【香取】とともに最後の最後まで砲撃を止めず、必死に戦い続けました。
【野分】はこの地獄のような砲撃を最後まで耐え抜き、九死に一生を得ています。

洋上には【舞風・香取】から辛くも逃げ出した乗員が多く浮かび、またボートにもやはり多くの乗員が乗っています。
しかし、彼らは一人残らず殺害されています。
戦意もなく、戦闘手段も持たない彼らは戦闘機からの執拗な機銃掃射を浴び、全員が殺されました。

日米ともに戦時国際法を守らずにこのような殺害が発生した例は数多くありますが、海上での戦いにおいてはこの「トラック島空襲」は特に有名です。
戦闘そのものが米軍の戦意高揚のために完膚なきまでに叩きのめし、さらに最後は戦艦が締めるという意図があったため、必要以上な攻撃があったのは明らかでした。
【舞風】たちはその踏み台として、トラック島沖に沈んでいきました。


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