旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 岸波

駆逐艦 岸波【夕雲型駆逐艦 十五番艦】
Destroyer  KISHINAMI 【YUGUMO-class Destroyer 15th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
パラワン島北西
建 造
1942年8月29日 1943年8月19日 1943年12月3日 1944年12月4日 浦 賀 船 渠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
2,077t 119.0m 10.8m 35.5ノット 52,000馬力







誕生日の翌日に沈没 潜水艦の脅威にさらされ続けた岸波


【岸波】が竣工したのは、太平洋戦争開戦からほぼ1年後ですが、【沖波】と違い1年経つ前に竣工。
姉よりも1週間早い竣工となりました。
第十一水雷戦隊で訓練を積む毎日を送り、2月10日に【沖波・朝霜】とともに、【長波】1隻となってしまった第三十一駆逐隊に編入されます。

2月26日、【岸波】【沖波・朝霜】とともに松輸送と呼ばれる満州からの物資輸送の護衛に就き、【輸送船 安芸丸・東山丸・崎戸丸】とともにグアムへ向けて出発しました。
しかし途中で【米潜水艦 トラウト】による妨害にあい、この魚雷によって【崎戸丸】が沈没してしまいます。
【朝霜】【トラウト】の追撃を行い、最終的に爆雷によってこれを撃沈、仇をとっています。

グアムに到着すると、【岸波】は護衛任務に加えて対潜哨戒も行うようになります。
6月19日の「マリアナ沖海戦」には丙部隊に属し、【大和・武蔵】らの護衛に就きましたが、航空戦となった本海戦での活躍はなく、ただ無残に撃ち落されていく航空機と、威信をかけて建造した空母たちが沈む姿を見つめることしかできませんでした。

次の舞台は「捷一号作戦」、すなわち「レイテ沖海戦」です。
訓練に励んできた【岸波】栗田艦隊に所属し、10月22日に旗艦【愛宕】らとともにブルネイを出発します。
しかし翌23日未明、潜水艦が日本最高峰の「高雄型重巡」に鋭い牙を食い込ませます。
【愛宕・摩耶】が撃沈され、【高雄】も大破。
【鳥海】を除く3隻が一挙に戦線離脱し、【米潜水艦 ダーター・デイズ】の戦果の生贄となってしまいました。
【岸波】【愛宕】の乗員や第二艦隊司令の栗田健男中将らを救出し、御真影も移された【岸波】は一時的ではありますが第二艦隊旗艦となりました。
その後、司令部や御真影は【大和】へ移されています。

「レイテ沖海戦」時は第二水雷戦隊旗艦【能代】と行動を共にし、終結後は大きく損傷した【妙高】の護衛を【長波】から引き継いでシンガポールまで送り届けています。

11月26日、【岸波】【敷設艇 由利島】【第17号海防艦】とともに【給油船 八紘丸】を護衛してシンガポールからマニラへ向かいます。
マニラで無事燃料を陸揚げした【岸波】は、同じメンツでシンガポールへと引き返しました。
しかし12月4日、帰り道で待ち伏せをしていたのが【米潜水艦 フラッシャー】です。
【フラッシャー】は航行する【岸波】に容赦ない痛撃を浴びせ、2本の魚雷を受けた【岸波】はたちまち航行不能になります。
続いて【八紘丸】も2発の魚雷を受けて同じく航行不能となりましたが、ここで【第17号海防艦】による反撃が行われたために【フラッシャー】は潜行して難を逃れました。

【岸波】は自力航行が不可能だったため、【由利島】が曳航することでこの海域を抜けだそうと試みます。
しかし【フラッシャー】は逃げたわけではなく、その離脱を許してくれるほど甘くはありませんでした。
深い海の中で魚雷を装填した【フラッシャー】は、悪天候に紛れて再び魚雷を発射。
またもや魚雷を受けた【岸波】に耐えぬく体力は残されておらず、誕生から1年と1日で、【岸波】は海に沈んでいきました。
【フラッシャー】はさらに辛うじて生き残っていた【八紘丸】にも止めを刺しており、海上には【由利島・第17号海防艦】だけが取り残されました。


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