旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します




駆逐艦 楓【松型駆逐艦 十七番艦】
Destroyer  KAEDE【MATSU-class Destroyer 17th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(解体) 建 造
1944年3月4日 1944年7月25日 1944年10月30日 1960年 横須賀海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,262t 100.0m 9.35m 27.8ノット 19,000馬力






1隻だけの駆逐隊 楓


竣工後に第十一水雷戦隊で訓練の日々を送っていた【楓】は、1945年1月20日に第三十一戦隊へ編入。
同時に【杉・樫】で編成されていた第五十二駆逐隊に新たに加わりました。
当初はさらに【桑・樅・檜】が所属していたのですが、【楓】が編入された時にはすでに沈没しています。
加えて【杉・樫】も損傷によって戦線離脱をすることになり、活動ができるのは【楓】ただ1隻でした。

22日、【楓】は早速任務を任されます。
モタ33船団を門司港から台湾の基隆まで護衛、27日に無事船団を送り届けました。
到着後、【梅・汐風】とともに高雄へ移動し、31日には「パトリナオ輸送作戦(搭乗員救出作戦)」とルソン島アパリ防衛のための輸送任務に出発しました。
ところが出発後間もなく米軍の偵察機によって発見され、早くも対空機銃から銃弾が放たれました。
このあとの空襲によって被弾した第1砲塔は停止、艦前部が浸水、火災を起こす大惨事となり、54名もの乗員がこの空襲によって亡くなりました。
沈没は回避できたものの、同行していた【梅】がこの空襲によって機械室が破壊されて航行不能、【汐風】によって砲撃処分されました。
【楓・汐風】は作戦を中止し、高雄へと帰投しています。

2月18日、応急処置を終えた【楓】は「タホ船団」を護衛して基隆を出港しますが、この道中でまたも空襲にあい、船団と分かれて単独で呉へと帰投しました。
呉での修理は4月26日までかかり、その後は【竹】とともに「回天標的艦」として大津島付近で活動を続けました。
そして終戦までの約4ヶ月間、空襲等による被害も受けることなく、【楓】は終戦を迎えました。

航行可能な状態だった【楓】は終戦後に復員輸送に従事し、その後は1947年7月に賠償艦として中華民国へと引き渡されました。
名は『衝陽』と改められ、1949年の国共内戦後は台湾に移動。
10月1日付で練習艦となりましたが、機関の調子が復調せず、練習艦としてはほとんど仕事ができずに放置、1960年になってようやく解体されました。


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