旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 綾波

駆逐艦 綾波【綾波型駆逐艦 一番艦】
Destroyer  AYANAMI 【AYANAMI-class Destroyer 1st】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
第三次ソロモン海戦
建 造
1928年1月20日 1929年10月5日 1930年4月30日 1942年11月15日 藤永田造船所
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,680t 118.52m 10.36m 38.0ノット 50,000馬力







特型駆逐艦から兵装強化 特Ⅱ型は重火力型


「吹雪型」の建造が進む中、最後の【浦波】では缶室への吸気孔が改善されました。
しかし2年の歳月をかけて増備が進んでいるうちに、兵装などもより性能が向上していきました。
それに伴い、「吹雪型」のスタイルでの特型駆逐艦は【浦波】を最後とし、新たに設計・兵装強化された「特Ⅱ型・綾波型」と改められて建造が再開します。
【綾波】はその一番艦で、10隻在籍する「綾波型」の長女として誕生します。

「綾波型」になって変更された点は、1つは煙突の形状と【浦波】でも行われた吸気孔の改善です。
「吹雪型」の吸気孔は「雁首状」という形状で、煙突の両脇に設置されていました。
「雁首状」というのは、文字通り雁(鳥)が首を伸ばして顔を前に向けているような状態で、逆L字のような形です。
しかしここに配置すると、荒波の中高速で航行するとどうしても海水が飛び込んでしまい、缶に不純物が入り込む状態となっていました。
そこで「綾波型」ではその吸気孔を煙突基部に配置し、さらに形状も「おわん型」へ変更。
これによって海水が入り込む可能性が激減し、さらに予熱効果が副次的に現れたこともあり、この形状は一気に浸透。
以後の駆逐艦はほぼこのスタイルが維持されるようになりました。

そしてもう1つが、砲撃力の向上です。
主砲は12.7cm連装砲A型から12.7cm連装砲B型へ変更。
このB型が見事な上位互換となっていました。

A型では仰角が40度ほどで、かなり接近してきた航空機は射撃範囲外となってしまいます。
しかしB型はその仰角が75度にまで向上。
砲弾装填の時は仰角を戻さねばならない欠点はありましたが(もともと高角砲ではないので)、それでも武器が増えたことには変わりありません。
一方本業となる平射では毎分10発のA型から毎分20分のB型と速射性が格段に向上。
これには人力装填から機械装填へと切り替えられたことも大きく関係しています。

また、地味ですが二本の砲身を独立俯仰角方式へと変更し、一方は平射、一方は高射という使い分けができるようにもなっています。

砲撃力強化には、主砲の性能向上だけでなく設備面でのサポートも含まれます。
駆逐艦にしては大きい艦橋が特徴的な特型駆逐艦ですが、「綾波型」には新たに「魚雷発射発令所」、「射撃指揮所」、「方位盤標準装置」が設置されました。
そして測距儀は「吹雪型」と同じく2mのものが備わり、一気に目が増えることになりました。

こうしてより攻撃力と燃費の向上がなされた「綾波型」ですが、特に攻撃面における強化から発生した不安定性は徐々に日本の駆逐艦を苦しめていくこととなります。

黒豹の二つ名の如く、闇夜の海上を疾走し、敵に噛み付いた綾波


【綾波】は建造時は「第四十五号駆逐艦」と呼ばれ、1928年8月に【綾波】と改称されます。
「支那事変(日中戦争)」では上海や杭州湾上陸作戦に従事しています。

太平洋戦争では第三水雷戦隊に所属した【綾波】は、マレー半島上陸作戦の際に【蘭潜水艦 O-20】を撃沈させています。
その後、【綾波】はしばらく輸送任務を黙々と行っていました。

そして1942年11月、【綾波】を語る上で必ず取り上げなければならない、あの海戦がやってきます。
舞台は「第三次ソロモン海戦」の第二夜、11月14日。
前日に帝国海軍は【比叡】を失い、三水戦(旗艦【川内】、他【浦波・綾波・敷波】)は難攻不落のヘンダーソン飛行場砲撃に際して哨戒活動を行っていました。
そして三水戦は【川内・綾波】【浦波・敷波】のふた手にわかれ、小さなサボ島を両側から哨戒することにします。

やがて【川内】は東側に回っていた【浦波・敷波】組から敵艦隊発見の報を受けます。
その正体はのちに【霧島】【高雄】らが戦うこととなる【米戦艦 ワシントン・サウスダコタ】と駆逐艦4隻からなる艦隊でした。
【川内】は西側を【綾波】に任せ、自身は北側をまわって【浦波・敷波】を援護、【綾波】は南側から東側にまわって合流し、双方から敵艦隊を撃退することにします。

やがて【川内・浦波・敷波】は敵艦隊と交戦を開始、その際に「敵艦隊発見」と通信をしているのですが、【綾波】にはサボ島が障害となってその通信が届いてなかったと思われます。
そして【綾波】も距離8,000m先に同じ艦隊を発見。
3隻はすでに攻撃を行っていると思った【綾波】は、臨戦態勢をとって敵艦隊へと突撃します。

ところが、【川内】以下3隻はこの戦いを形勢不利と捉えて一時撤退、戦場から離脱してたのです。
その離脱を知らない【綾波】は、単艦で戦艦2隻を含む6隻の艦隊に立ち向かうことになってしまいました。

敵の巣に迷い込んだかのような【綾波】でしたが、ここから【綾波】の輝かしい活躍が始まるのです。

距離5,000mに詰め寄った時、米艦隊は【綾波】に気づいて砲撃を開始します。
ほぼ同時に艦長作間英邇中佐も砲撃を下令。
なんと初弾がいきなり【米駆逐艦 プレストン】【ウォーク】に命中、2隻は瞬く間に炎に包まれます。
米艦隊もすぐさま反撃を行い、【綾波】は1番魚雷発射管が故障、さらに内火艇が損傷してガソリンに引火してしまい火災が発生します。
不幸なことにその炎が1番魚雷発射管の魚雷を包み、近いうちに爆発することは誰が見ても明らかでした。

それでも【綾波】は攻撃を止めることはありません。
【サウスダコタ】に対しても命中弾を記録し、これによって【サウスダコタ】は電気系統損傷によって副砲とレーダーが使えなくなったと言われています。
この影響はこの期に行われる【霧島】との戦いでも大きく現れ、【サウスダコタ】は早期撤退を余儀なくされます。

また、損傷していない2番、3番魚雷発射管から魚雷が次々と放たれ、その魚雷はまたも正確に敵艦隊を襲撃します。
炎上中の【ウォーク】にとどめの一発を食らわせ、弾薬庫に引火して大爆発を起こした【ウォーク】は沈没。
さらに【駆逐艦 ベンハム】の艦首にも致命傷を与え、その場こそ逃げ切るものの、翌日【ベンハム】も沈没しました。

そこへ別働隊である【長良】と4隻の駆逐艦が合流、砲撃は休むことなく繰り広げられます。
炎上中だった【プレストン】は格好の獲物となり、【電】の苛烈な攻撃によって沈没。
また【駆逐艦 グウィン】【白雪】の砲撃によって中破、【ベンハム】とともに戦線離脱しています。

しかしそこへ2隻の戦艦からの攻撃が【綾波】に直撃、2番砲塔は沈黙し、機関室にも甚大な被害を負った【綾波】は遂にその足を止めてしまいました。

こうして、「第三次ソロモン海戦」の第二戦での別働隊の戦いは幕を閉じ、やがて第二章、【霧島】VS【ワシントン・サウスダコタ】へと歴史は進んでいきます。

勇猛果敢に敵艦隊へ襲いかかった【綾波】は、至るところで火災が発生する大惨事ではありましたが、しかし浸水はすることなく、爆発前に総員退艦命令が下ります。
浮遊物を投げ捨て、それにつかまって脱出する戦士たちは、自身の乗る船がもたらした大戦果を前に興奮が収まらず、軍歌を歌いながら漂流する者もいたそうです。

乗員の脱出が完了後、【綾波】は盛大に爆発を起こし、そして乗員たちに見守られて沈んでいきました。

「第三次ソロモン海戦」は結果的に敗北してしまいますが、この【綾波】の大立ち回り、そして戦艦同士の砲撃戦、さらに第一夜の【夕立】の嵐のような暴れっぷりなど、激闘に次ぐ激闘でした。
そして【綾波】は駆逐艦単艦で駆逐艦2隻撃沈、1隻大破、さらに戦艦に一時的に著しい弱体化をもたらした、帝国海軍史でも燦然と輝く大武勲をあげたのです。
その黒い船体で闇夜を駆け巡った姿から、【綾波】「黒豹」と称されました。


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