旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


駆逐艦 暁

駆逐艦 暁【暁型駆逐艦 一番艦】
Destroyer  AKATSUKI 【AKATSUKI-class Destroyer 1st】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
第三次ソロモン海戦
建 造
1930年2月17日 1932年5月7日 1932年11月30日 1942年11月13日 佐世保海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
1,680t 118.52m 10.36m 38.0ノット 50,000馬力







燃費向上の成功の影に潜む、バランスと構造の悪さ


もともと「特型駆逐艦」は革新的な存在ではあったものの、不満がないわけではありません。
それは重さであり、そして航続距離でした。
重さは公試排水量1,900t以下の要望の中で1,980tとなり、航続距離も14ノット:5,000海里に対して4,500海里に留まっていました。
この2つは連動しており、つまり重いから燃費が悪くなり、そして航続距離も短くなっている、ということです。

「特型駆逐艦」が大絶賛され、そして現場でも賞賛の嵐である一方で、このような問題点はくすぶり続けていました。
そしてその解決方法として検討されたのが、缶性能の向上です。
重量は「特型駆逐艦」の構造上、すでにかなりの軽量化が施されており、これ以上の軽量化は船体に著しいダメージを与えかねなかったのです。
1,980tと言う数字は決して現場が妥協したわけではなく、この数字が精一杯だったということになります。
「特型駆逐艦」建造と同時進行で、この新型缶の製造は行われていきました。

そしてこの新型缶は思わぬ副産物を生み出します。
燃費効率が1割向上した新型缶は、結果的に重量をも1割カットと言う大成功を収めます。
そしてこの新型缶は、従来4缶で発揮していた性能が3缶で賄えるという素晴らしいものでした。
これに伴い、「暁型」は前部煙突が従来の煙突に比べて半分ほどになっています(缶1つ分の大きさ)。
ですので、24隻ある「特型駆逐艦」の中でも特にこの「暁型」4隻はわかりやすい見た目をしていました。

さて、これだけで終わっていればよかったのですが、飽くなき強さへのこだわりは後に「暁型」を、そして多くの駆逐艦を苦しめることになっていきます。
まず「吹雪型」は船体構造のバランスはとれていて、重心は下に、そして限りなく強力な兵装を有し、さらにずば抜けた凌波性を兼ね備えています。
続いて「綾波型」ですが、主砲の換装、そして司令所増設などによる艦橋の大型化があり、重心が「吹雪型」より少し上がっています。
そしてこの「暁型」は、缶軽量化に伴う下部重量の減少がある一方で、艦橋はさらに大型化するという非常にアンバランスな構造へと変化していきました。
結果、船での安定性を欠く大きな要素となるトップヘビーな船体となった「暁型」は、最も強力かつ最も危険な駆逐艦となってしまいました。
幸い「暁型」4隻がその直接的な被害をうけることはなかったのですが、この影響は1934年の「友鶴事件」、そして1935年の「第四艦隊事件」として露呈することになります。
特に「第四艦隊事件」では、「特型駆逐艦」や同時期に竣工していた巡洋艦に大小様々な被害が集中していたので、その設計で重視されていた「軽量化」が仇となったのは誰の目から見ても明らかでした。

両事件の結果、「特型駆逐艦」で最も修正すべき箇所が多かった「暁型」は、艦橋の縮小、そして強度の増強が施されるのですが、その代償として高速だった38ノットが34ノットにまで低下してしまいます。
しかし船は強さ以前に安定性・復原性がなければ、戦いの場で安心して航行することもできません。
帝国海軍はその点を踏まえ、重量が増加してでも船体の強化、安全性の向上を重視した改良を各艦に順次行っていきます。

なお、「暁型」が4隻だけである理由は、「ロンドン海軍軍縮条約」において排水量1,500t以上の駆逐艦の保有制限がかけられ、これ以上の建造ができなくなったためです。

負けられない第三次ソロモン海戦の火ぶたを切った暁


【暁】は竣工後、前述した両事件からの改良工事を終えた後、早速「支那事変(日中戦争)」へと出撃し、上陸作戦支援や輸送任務などで汗を流します。

太平洋戦争前には「暁型」4隻が第六駆逐隊として編成され、「フィリピン攻略作戦、セレベス島攻略戦、バタビア沖海戦」などで哨戒活動や支援任務を行っています。
1942年3月には【響・雷】とともに【米潜水艦 パーミット】を撃破する成果も残しています。
「アリューシャン方面の戦い」に含まれる5月のキスカ島侵攻にも参加し、そしてその占領も危なげなく終えるのですが、直後に【響】が空襲によって艦首を切断してしまいました。
【暁】【響】を曳航してキスカ島まで送り届けた後、今度は【隼鷹】の護衛をして呉まで向かいます。

10月からはガダルカナル島を巡る戦いに参加しますが、11月13日に発生した「第三次ソロモン海戦」にて【暁】は先陣を切って奮闘します。
【比叡・霧島】らを率いて先頭にいた【暁】は、眼前に米連合艦隊を確認。
【暁】は勇敢に米連合艦隊の先頭にいた【米軽巡 アトランタ】へ向けて探照灯を照射、戦闘の開始を知らせます。
しかし探照灯は諸刃の刃です、【暁】はたちまち米軍の集中砲火の的となってしまいました。
【暁】も負けじと【アトランタ】へ向けて主砲、さらには魚雷も発射し、【アトランタ】に致命傷を負わせています(【夕立・雷】の命中記録もあるため、確実性はありません)。

【暁】は一瞬にして砲撃の嵐に見舞われて分断寸前、航行不能に陥ってしまいますが、これは乱戦となった「第三次ソロモン海戦」の本の序章に過ぎませんでした。
【比叡】の最期、【夕立】の激闘など、第一夜だけでも多くのドラマがありました。

やがてその船体は二つに割れ、被弾から15分で【暁】は10年という短い生涯を閉じます。
生存者はたったの18名でした。


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