旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


航空母艦 飛龍

航空母艦 飛龍
Aircraft carrier  HIRYU


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
ミッドウェー海戦
建 造
1936年7月8日 1937年11月16日 1939年7月5日 1942年6月6日 横須賀海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
17,300t 227.35m 22.32m 34.6ノット 153,000馬力







建造途中で大型化 妹から一人っ子の飛龍


「ワシントン・ロンドン両軍縮条約」により、日本は空母の保有総排水量が81,000tに制限されました。
そこから帝国海軍にすでに所属している空母の排水量を差し引くと、21,000t。
帝国海軍はこの残りの数字で2隻の空母を建造することにしました。

【飛龍】は本来、「蒼龍型空母」の二番艦として建造される予定でした。
しかし、【蒼龍】の建造が長引いているうちに、日本は「ロンドン海軍軍縮条約」の脱退を決断し、さらに「ワシントン海軍軍縮条約」の失効の時期とも重なったため、制約から一気に解放されます。
それに伴い、【飛龍】も日本が造りたいように造ることができるようになりました。
なので、【飛龍】「蒼龍型空母」ではなく、独立した新しい空母として計画・起工されます。

【飛龍】は飛行甲板の延長、艦橋の位置、装甲強度の向上がなされています。
艦橋の位置が左舷になったのは、【赤城】と同じ理由で、バランス感の向上などがありますが、しかしこれもまた同じような現象が発生しています(気流の乱れ、圧迫感等)。

その点こそ不評でしたが、他は全体的に【蒼龍】のグレードアップ版であったため、非常に良好な形で竣工しました。
この建造は後の空母建造に大いに貢献し、「翔鶴型空母」「雲龍型空母」の礎となっています。

ミッドウェーで孤軍奮闘 一矢報いる空母撃破


第二航空戦隊の旗艦を【蒼龍】から引き継いだ【飛龍】は、【赤城・加賀・蒼龍】とともに第一航空艦隊を編成し、各地で大活躍を収めます。

しかし、太平洋戦争開戦から半年後の「ミッドウェー海戦」で、帝国海軍機動部隊は壊滅的な被害を受けます。
【加賀】【蒼龍】が相次いで被弾炎上、まもなく【赤城】からも火の手が上がり、戦場でまともに航行できるのは【飛龍】ただ1隻となりました。
乗艦していた山口多聞少将は、

「飛龍を除く三艦は被害を受け、とくに蒼龍は激しく炎上中である。帝国の栄光のため戦いを続けるのは、一に飛龍にかかっている」

と宣言し、この苦難を乗り切るのは【飛龍】の奮闘が全てであることを乗員に伝えています。

反撃に出た【飛龍】は、【ヨークタウン級空母 ヨークタウン】を標的とし、二度に渡る攻撃で遂に【ヨークタウン】を航行不能まで追い込みます。

航空母艦 ヨークタウン
(飛龍の攻撃隊がヨークタウンに反撃を行う)

最終的には【潜水艦 伊168号】【ヨークタウン】とそれの護衛・復旧に携わっていた【シムス級駆逐艦 ハムマン】を撃沈する戦果をあげています。
しかし【飛龍】艦載機の損耗も激しく、この時点で「零戦」10機、「九九式艦上爆撃機」5機、「九七式艦上攻撃機」4機しか残っていませんでした。
護衛艦として【榛名・霧島】【利根・筑摩】【長良】がつき、再攻撃は夕暮れ時に行われることになります。

米軍はその時を待ってはくれませんでした。
【ヨークタウン級空母 エンタープライズ・ホーネット】から発艦した爆撃機が再度【飛龍】を襲い、ついに【飛龍】は航行不能寸前に陥りました。
機関は一部健在だったものの、その事実を知ることができなかった艦長は退艦命令を下します。

空母 飛龍
(奮戦の末炎上する飛龍)

最後は【巻雲】の魚雷によって雷撃処分され、最後の1隻になっても戦い抜いた【飛龍】の一生は終わりを告げました。


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