旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


瑞雲

水上偵察機 『瑞雲』


(最大速度は計測高度によって変わります)
全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.84m
12.80m 28.00㎡ 3,800kg 448km/h
航続距離 連 コードネーム 発動機(三菱) 製 造 設計者
2,535km Paul(ポール) 空冷複列星型14気筒
「金星五四型」
愛知航空機 松尾 喜四郎

究極の便利屋 なんでもござれの水上機 瑞雲


1939年、日本は軍艦の搭載用として「零式水上偵察機(試作時は十二試三座水上偵察機)」を完成させます。
空母を量産できればいいのですが、何分コストと時間がかかりすぎますし、加えて搭載数に限界がある空母に「偵察」しかできない艦載機を載せることには非常に懐疑的でした。
そこで、軽巡洋艦以上の大型艦に搭載できる水上機を偵察機として運用し、その穴を埋めようという意図で誕生しました。

しかしやはり、数に劣るアメリカを相手に「偵察」しかできないという制約は苦しいものがありました。
そのため、「零式水偵」とは別に海軍は1937年に「十二試二座水上偵察機」の開発を命じました。
この「十二試二座水偵」は上記の「零式水偵」では叶わなかった、爆撃性能を持った、いわば「水上偵察爆撃機」と言える、一挙両得を狙った水上機でした。
候補に上がったのは愛知航空機中島飛行機川西航空機の3社。
3社は海軍からの要求性能に応じるべく、早速試作機の設計を開始しました。

ところがこの要求が殊の外高く(いつものことですが)、愛知中島はともに全金属製単葉双フロートを採用するなど従来の水上機よりも遥かに近代的な試作機を作り上げますが、操縦性と重量に難があったために不採用、川西に至っては「十二試三座水偵」の設計・開発との二足のわらじを履くことができずに、二座については早々に断念しています。
しかもこの「十二試三座水偵」川西製が採用されるのですが、飛行試験中に不備が続々と露呈して内定取り消し、代わりを愛知製が務めることになってしまいました。

トラブルがあったものの無事採用された「零式水偵」と違い、「水上偵察爆撃機」は要望を叶えることができずに開発は中止。
海軍の求める万能水上機の道は、一度頓挫してしまいます。
しかし後に「流星」が急降下爆撃も可能な艦攻として登場するように、万能機は日本の勝利のために欠かすことができませんでした。
海軍は「零式水偵」で実績を上げた愛知に、1940年に再び「十六試水上偵察機」として急降下爆撃が可能な水上偵察機の開発を指示します。
一方で川西にも「十四試高速水上偵察機」「紫雲」)での挽回のチャンスが与えられますが、これがまた艦戦よりも高速な水上機という無茶な要求でした。
川西は苦心して「紫雲」を開発するのですが、結局要求を叶えることはできず、また環境も「紫雲」の改良・増産を阻み、試作機含めたった15機の製造で終わっています。

さて、「十六試水偵」ですが、当然ながら「十二試二座水偵」よりも要求スペックは高くなります。
・速度:463km/h(「十二試二座」は361km/h要求)
・最大航続距離:2,500km以上(「十二試二座」の愛知試作機は約1,000km)
そしてもちろん250kg爆弾の急降下爆撃可能と、「九九式艦上爆撃機」が裸足で逃げ出すような高性能水上機でした。

愛知はリベンジとばかりにこの「十六試水偵」の開発に取り掛かります。
この「十六試水偵」で最も難しいのが、強度と重量のバランスです。
急降下爆撃はまず強力な重力がかかるため、機体の強度がなければ空中分解してしまいます。
それに加え、爆撃後には機体を一気に持ち上げて墜落を防ぐため、今度は重力と今まで機体が海面に向けて突っ込んでいた力に逆らう必要が出てきます。
これもまた強度がなければ機体は崩壊してしまいます。

そして何より、水上機にはフロートが存在します。
フロートにはそれなりの重量がある上、艦載機のように折りたたんで機体に収納することができません。
空気抵抗を受けるため、当然速度が落ちます。
速度を上げるにはエンジン出力の増だけではなく、重量を落とすのが一般的で、しかし重量を落とせば強度も落ちます。
この難問に愛知は立ち向かいました。

まず愛知は、この急降下爆撃時にあえて空気抵抗を増幅させ、機体の制御性を高めるダイブブレーキを双フロートの支柱部分に設置。
これは世界初の試みで(そもそも世界はこのような一般航空機並の性能を水上機に追い求めていませんでした)、これにより急降下時に飛行禁止速度を超過しないように、また爆撃後の上昇のサポートをすることができるようになりました。
ただし、これでも試験飛行中に空中分解するという事故が発生したため、量産機ではスリット状の穴を空けて抵抗力を強めています。

続いて高速性についてですが、まず機体は超々ジュラルミンを採用することで強度を高めながらも重量増加を抑え、また空気抵抗を極力減らすために出来る限りスリムな形状となります。
エンジンは三菱の「金星五四型」という、高出力ながら「十二試水偵」で搭載予定だった「瑞星」よりも1t以上も軽い最新エンジンを搭載。
この効果は絶大で、上記のダイブブレーキはこのエンジンによって発揮できる最大速度を急降下で出してしまうと機体が持たないために採用した、という理由もあります。
ただ、それでも「十六試水偵」は目標の463km/hにはわずかに達することができませんでした。

最後に、もともと爆撃機は空戦にもある程度対応できるように設計されており、先の「九九式艦爆」7.7mm機銃を計3門搭載し、空戦性能も悪くはありませんでした。
ですのでこの「十六試水偵」にも戦闘機としての役割を担ってもらうべく、7.7mm旋回機銃を両翼に1門ずつ搭載しています。
ただし、これはあくまで初期型の武装で、量産時には機体後部に13mm旋回機銃、両翼にはなんと20mm機銃、という重武装になっていました。
この20mm機銃はまさに戦闘機が備える標準装備で、更にはこれこそ後期戦闘機だけが備え持っていた空戦フラップまでもを「十六試水偵」は採用。
空戦フラップとは、主に減速と旋回半径を小さくしながら旋回する際に用いられた空戦用のフラップです。
通常は揚力を補うために使用されるフラップを熟練の「零戦」パイロットが活用していたことから、空戦用として改良されたものになります。

縁起のいい雲は見えず 月光の下で密かに躍動


こうして結果的に「偵察・戦闘・爆撃」可能な水上機という、世界を見渡しても並び立つものがいない唯一無二の万能水上機「瑞雲」は、1943年8月に誕生しました。
しかしこの時太平洋戦争はすでに後期に入りつつあり、南方だけでなく北方もアリューシャン列島を奪還されていました。
空母も「ミッドウェー海戦」によって4隻、その他にも【龍驤・祥鳳】が斃れており、単純な航空戦力の不足に直面していたのです。

さらに設計元の愛知は当時遅れに遅れていた「彗星」がようやく量産体制に入ったところで、開戦して2年半が経つのに未だに「九九式艦爆」が飛び回っている海軍としては、何としてでもこの「彗星」を戦場に投入しなければなりませんでした。
そんな愛知で更に「瑞雲」も製造してもらうと、時間がかかって当然です。
正式な機体としての「瑞雲」が登場したのは、1944年2月頃からと言われており、採用から半年もかかってしまいました。
これではまずいと、途中で海軍は日本飛行機にもこの「瑞雲」の製造を依頼。
しかし日本飛行機製の「瑞雲」は合計で59機に留まっています。

本来の目的は「偵察」だった「瑞雲」ですが、上記のようにあらゆる面で航空戦力不足となってしまったこの戦況で求められたのは、「爆撃機」としての力でした。
コンセプト通りの働きを見せることができたと言えば聞こえはいいですが、つまりは本業を捨ててでも副業に徹するしかないほど日本は窮地だったのです。
「水偵」としてなら、「零式水偵」とほぼ同じ重さである「瑞雲」は、4t規格のカタパルトを搭載している【大淀】「阿賀野型」・重巡洋艦・戦艦での運用は理論上は可能でした。
しかし「爆撃機」となると、どうしても航空隊として連携し、数を揃えた運用が必要です。
そうなると、どの軍艦でも数を揃えた「瑞雲」を搭載できるわけではなく、航空戦艦へと改造された【伊勢・日向】や、航空巡洋艦となった【最上】のみ。
運用方法が非常に限定的でした。

当初は「彗星」【伊勢・日向】で運用するために改造された航空戦艦でしたが、「彗星」は一向に数が潤沢にならず、結局計画数の「彗星」を揃えるよりも不足分を「瑞雲」で補って準備を急ぐことになります。
【伊勢・日向】からなる第四航空戦隊は、第六三四海軍航空隊に所属する「瑞雲」とともに訓練を行いました。
ところが「瑞雲」も量産速度が早いわけではない上に、これまでの「水上機」とは一線を画する存在であることから、訓練も慎重に行わざるを得ません。
そのため、練度も数も不十分であることから6月の「マリアナ沖海戦」にこの第四航空戦隊は参加することができず、最悪の結果となってしまいます。

この敗北により、フィリピンはもはや敵の地に落ち、日本はなんとしてでもアメリカの戦力を削ぐためにフィリピンへ向けての攻撃を開始。
六三四空はこの攻撃の一員として、第四航空戦隊より第二航空艦隊へ異動、ついに実践で【伊勢・日向】から飛び立つことはありませんでした。

しかし六三四空は戦地で大いに活躍。
「瑞雲」は「偵察」だけでなく、夜間爆撃という任務も任され、その性能を遺憾なく発揮しました。
また対空装備の乏しい魚雷艇を多数攻撃しています。
航続距離が長いため、遠く離れた台湾の水上機基地からフィリピンを襲撃することができ、また最悪の事態に陥っても水上機ですので着水ができます。
当時はすでに特攻が行われている中、この「瑞雲」はあくまで本来の戦い方を貫き、六三四空の力を見せつけていました。
「レイテ沖海戦」で大敗してからも、六三四空は「礼号作戦」で艦隊支援を行っています。

「瑞雲」は結局軍艦から発射されて戦った実績はありません。
しかし大戦末期で特攻なく攻撃を繰り返した稀有な存在で、たった200機足らずではありますが「晴嵐」とともに日本の傑作機として知られています。


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⇐水上偵察機 紫雲



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