旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


艦上爆撃機 彗星

艦上爆撃機 『彗星』

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.22m
11.50m 23.60㎡ ① 4,353kg
② 4,657kg
① 579.7km/h
② 574.1km/h
航続距離 連 コードネーム 発動機 製 造 設計者
①1,517km~
②1,519km~
Judy(ジュディ) ①液冷倒立V型12気筒
「愛知熱田三ニ型」
②空冷複列星型14気筒
「三菱金星六ニ型」
愛知航空機 山名 正夫
※①は「一二型」、②は「三三型」のスペック

新要素満載 高速で一撃離脱を目指した彗星


「九六式艦上戦闘機」の後継機が愛知航空機「九九式艦上爆撃機」に決定した一方で、日本は別方面ですでに次の一手を打っていました。
「九九式艦爆」は通常通り各企業に試作機の製作を依頼した上で採用されていますが、この「彗星」の元となる「十三試艦上爆撃機」海軍航空技術廠(空技廠)にのみ製作が命令されています。
当初「九六式艦爆・九九式艦爆」の後継にはドイツのハインケル社が手がけた「He118」「十試艦上軽爆」として採用されるはずでしたが、この性能があまりよくなかったため、見送られました。
そこで空技廠はこの「He118」をベースに、改良・洗練された「十三試艦爆」の設計を開始します。

空技廠一本で進められた本機ですが、スペック設定についても異例の対応でした。
本来なら海軍が「この条件に合うものを作れ」と性能基準を出して試作機の製作にとりかかりますが、今回の「十三試艦爆」は逆に設計者の山名正夫技師が自ら高い目標を設定し、それを実現させるというスタンスを取ります。

「十三試艦爆」のコンセプトは、「敵艦上機よりも長大な攻撃半径」「敵戦闘機を振りきれる高速性能」の2つ。
つまり、敵の攻撃を受けないところから一気に急降下して爆撃、その後戦闘機から高速で逃げきれる艦爆の製造ということになります。
巡航速度は426km/h、最大速度519km/hという高い目標を立てた山名技師ですが、その設定をしたのには理由があります。
本機は艦上爆撃機ですので、運用には当然空母が必要になります。
しかし空母は簡単に短時間で生み出せるものではないことから、この艦爆も大量生産することはないだろうと言う考えがあったのです。
そのため「十三試艦爆」は量産性よりも高性能がかなり重視され、構造も複雑化してしまいます。
そしてこの判断はのちの海軍に大きな影を落とすことになります。

先の2つのコンセプトを達するためには、速度もそうですが燃費も重要です。
この2つの条件をクリアするために必要なのは空気抵抗の軽減とエンジンの性能です。
まず機体については何よりもその小ささが目立ちます。
空母は大きくても、艦載機を甲板まであげるエレベーターの横幅には限度があるため、単葉機の場合、羽は折りたたみ式が多く採用されていました。
しかし「十三試艦爆」はこれを省略し、代わりに機体そのものを小型化。
横幅11.5mのサイズは単座の「零戦」とさほど変わらない大きさとなっています(「彗星」は複座です)。

また爆弾はこれまで胴体の下に取り付けていましたが、「十三試艦爆」では初めてこれを胴体内に搭載するようにし、その分増えた嵩を抑えるために風防の高さを極力下げます。
嵩増しの軽減のために、搭乗員の落下傘はこれまでの座布団式から背負式へと変更されるなど、細かなところに調整が入りました。
両翼の形状も面積をできるだけ小さくし、セミ・インテグラル式燃料タンクという、羽の構造部材をまるまる燃料タンクとして使う形が取られて重量軽減と燃料搭載量の増を図っています。

続いてエンジンですが、これにはドイツのダイムラー・ベンツの「DB601A」発動機をライセンス生産したものを採用。
「熱田ニ一型」と名づけられたこの発動機は水冷式で、当時の小型機用発動機の中では最も強力なものでした。
加えて水冷式は空冷式よりも小型の構造であることから、性能は上がりかつ機体は小型化できるという、大きなメリットがありました。
(試作機一号の時はまだ「熱田ニ一号」ではありませんでした。)

最後に構造全体を油圧駆動から電気駆動へと変更。
これもまた、もともと問題のあった油漏れへの対処だけでなく、重量の軽減を狙ってのことでした。

扱えきれない最新技術 投入の遅れは戦況悪化に直結


さて、このように半ば実験機とも言える多種多様な取り組みがなされた「十三試艦爆」ですが、蓋を開けてみるとなかなかの難産でした。
大きくのしかかったのは、水冷式発動機「熱田一ニ型」と電気駆動。
どちらも根本的に扱える技術や人材・資材等が不足していたという問題がありました。

まず「熱田一ニ型」についてですが、オリジナルを作る上で必要な工作機械を導入できなかったという大きな壁がありました。
もちろん量産なんてできませんから、仕方なく材質を日本で入手・加工できるものへ変更していきます。
しかしそんなことをしたら当然性能は落ちますし、トラブルの原因にもなります。
実際トラブルは頻発し、その上その対処法もわからないままなので、整備班も馴染みのない水冷式エンジンに頭を悩ませ続けていました。

続いて電気駆動への変更ですが、こちらもやはり精密な具材を作る機械が手に入らず、複雑化した構造に手を焼くはめになってしまいます。
作業工程は増え、モーター・バッテリーの出力は落ち、多くの不調に悩まされました。
特に問題が多かったのが脚部の収納ギミックで、これが正常に作動しなければ着艦ができないため、パイロットからは評価されていませんでした。

試行錯誤は続き、試作機は五号機まで造られましたが、いよいよ空技廠が目指した高速艦爆の誕生が近づいてきます。
1941年のテストフライトでは551.9km/h(高度4,750m)を記録し、当初掲げていた519km/hを大幅に上回る結果を残しています。
たしかに問題は多いものの、はまった時の力は申し分ないことがわかると、海軍はまずこの「十三試艦爆」を艦爆ではなく偵察機として採用します。
当時偵察機は海軍には存在せず、偵察には「九七式艦上攻撃機」「零式水上偵察機」などが使われていましたが、まず「九七式艦攻」は複葉機で鈍足、「零式水偵」も速度は360km/h程度でした。
それに比べて「十三試艦爆」は500km/hを誇るのですから、是が非でもほしい代物でした。

先だって試作機二号、三号、四号を改造し、カメラを搭載させた偵察機として導入されます。
しかし二号、三号機は1942年6月の「ミッドウェー海戦」において喪失してしまい、さらに艦爆として引き続き性能チェックに使われていた五号機は8月の試験飛行中に空中分解してしまいました。
四号機はすでに機動部隊で実戦投入されており、これで試作機はすべて手に入れることができなくなってしまいます。
この喪失もまた、「彗星」導入の長期化の原因と言われています。

五号機の空中分解は偵察機としての運用であれば起こりえないという結論(急降下などの運動が不要なため)から、まず「十三試艦爆」「二式艦上偵察機」として正式に採用されます。
そして機体の強度をあげた「彗星一一型」が、1943年8月からようやく量産体制に入りました。
一方で「彗星」は引き続き改良が行われ、出力を上げた「熱田三ニ型」(これを搭載したものは「彗星一ニ型」になります)が誕生しますが、こちらは「一ニ型」よりも生産速度が落ちてしまい、結局元鞘である空冷式「金星六ニ型」を採用した「彗星三三型」「彗星一ニ型」と同時並行で生産されました。
ちなみに「三三型」の生産がちょうど始まった頃から、「熱田三ニ型」の生産も安定し始めたそうです。

「三三型」は空冷式発動機であるため、機首の形状は「一一型、一ニ型」と同じというわけにはいきませんでした。
少し大きくなった機首は空気抵抗を増やしてしまいますが、それを補えるだけの性能を「金星六二型」は持っていたため、速度低下は最小限で抑えることができています。

こうして紆余曲折の末に日の目を見ることになった「彗星」でしたが、もはや日本は「彗星」を待つ余裕など微塵も残されていませんでした。
「マリアナ沖海戦」ではその性能をいかんなく発揮できる腕の立つパイロットが不足し、「レイテ沖海戦」ではそもそも「彗星」を載せれる空母が【瑞鶴】のみという有様(「彗星」は離着艦に必要な距離が長いため、軽空母では対応できませんでした)。
計画では【伊勢・日向】の航空戦艦でもカタパルトから発艦できるタイプの「彗星ニニ型」というものも存在しますが、これも実現していません。

いかに「彗星」が優秀な機体であっても、誕生までに要した時間はあまりに長く、「彗星」は脚光を浴びるような活躍からは遠い存在でした。
ただ、活躍が乏しいとはいえ、実際に操縦するパイロットからの評価は上々であったこと、また「彗星」で培われた技術は後の多くの機体に広く影響を与えていることは忘れてはならないと思います。
「彗星」は合計で2,253機造られたと記録されています。


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⇐九九式艦上爆撃機




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