旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


水上攻撃機 晴嵐

特殊水上攻撃機 『晴嵐』

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.64m
12.26m 27.0㎡ 4,250kg 474km/h
(フロートなし=
560km/h)
航続距離 連 コードネーム 発動機(愛知) 製 造 設計者
1,540km 連合軍未確認 液冷倒立V型12気筒
「熱田三ニ型」
愛知航空機 ???

水上機の常識を超えた超秘密兵器 晴嵐

※後述のパナマ運河破壊については、どのタイミングで議論が持ち上がったのかが諸説あります。
「伊400型」竣工後なのか、山本五十六殉職後なのか、立案時からそもそもパナマ運河も標的の1つだったのか、はっきりしていません。


聯合艦隊司令長官である山本五十六は、太平洋戦争開幕直後から「アメリカ本土空襲」という大それた計画を立てていました。
1942年2月には【伊号第十七潜水艦】がアメリカ西海岸の石油製油所を砲撃し、また9月には【伊号第二五潜水艦】から飛び立った「零式小型水上偵察機」がアメリカの山林に爆弾を投下し、被害は少なかったものの森林火災を発生させました。

1942年9月に急遽計画変更された「改マル5計画」では、空母の補強を最優先事項とした一方で、このアメリカ本土空襲に向けた船と、そこから発艦する攻撃機についても決められていました。
建造計画の中には、「潜特型」という文字があります。
これが、アメリカ本土空襲に向けて建造が決められていた日本最大級の秘密艦艇、「伊号第四百型潜水艦」です。
そしてこの「伊号第四百型潜水艦」(以下「伊400型」)に搭載され、アメリカ本土上空を飛行することになったのが、「晴嵐」です。

「伊400型」「晴嵐」も、そのものの設計は1942年2月から開始されており、「改マル5計画」で初めて計画された存在ではありません。
「晴嵐」は艦爆を多く扱ってきた愛知航空機に委ねられ、「十七試特殊攻撃機」という名前で設計が始まります。

今回の「伊400型」「晴嵐」によるアメリカ本土空襲は、【伊25】の森林空襲ではなく、アメリカ東海岸の最主要都市、ワシントンとニューヨークを狙う計画でした(軍事拠点空襲か民間空襲かは不明です)。
本格的な空襲を行うため、前回の「零式小型水上偵察機」を改造したような使い方ではなく、急降下爆撃可能、800kg爆弾が搭載できる超強力な水上機が求められました。

しかし当時抜群の性能を誇った水上機「瑞雲」とは違い、この「晴嵐」「伊400型」の中に格納されますから、サイズもできるだけ小さくなるようにしなければなりません。
通常、航空機のサイズを小さくする場合は両翼をある箇所で機体の上部に向けて折り曲げるのですが、「晴嵐」も同じようにこの方法でコンパクト化を狙いました。
ところが「伊400型」の格納筒の直径は4mで、「晴嵐」のプロペラの直径がギリギリ収まる大きさでした。
この4mの中には、全幅12mの機体はどうやっても従来の羽折方式では対応できませんでした。

当たり前ですが、両翼を短くすれば速度・搭載爆弾の重量減などのスペック低下は免れませんし、機体全体の再設計の可能性もあります。
「伊400型」についても、ただでさえ大型ですからこれ以上のサイズオーバーは避けたいですし、横に広くなる改造というのはとても大変です。
「伊400型」「晴嵐」のサイズを確認した上で設計されていますから、ここから正方形の格納筒をもう一度大きくして設置するのは大変な労力がかかります。
やはりこの問題は、「晴嵐の羽を何とかする」という方法で解決するしかありませんでした。

頭を悩ませた設計陣ですが、ある時機体の羽を上に折りたたむのではなく、羽を90度回して羽の面が正面を向くようにし、それを機体にそって後ろ向きに折りたたむ方法を思いつきます。

人間で表しますと、直立している時、頭が機体の先頭になり、両腕が羽になります(うつ伏せに寝るとよりわかりやすいかもしれません)。
手のひらを正面に向け、両手を横に伸ばします。
これが通常の飛行機の状態です。
その両手の手のひらを、正面から下に向けます。
これが「くるっと90度回転させ」の部分にあたり、そしてその手を下にさげれば「気をつけ」の姿勢になると思います。
また、水平尾翼、垂直尾翼も折り曲げてともに格納筒に収まるように設計。
このように「晴嵐」のあらゆる羽を折りたたむことで、ギリギリ4mの格納筒に収めることができたのです。
またやはりスペース確保のため、水上機たる所以である水上フロートは取り外されており、発射前に取り付ける対応になっていました。

このように、構造だけでも十分語るに足る特殊機ですが、もちろんその性能も水上機とは思えない異常なものでした。
「瑞雲」でも十分強い水上機でしたが、「瑞雲」が積めた爆弾は250kg爆弾1つ。
「晴嵐」は800kg爆弾が搭載でき、250kg爆弾なら4つも積めます。
さらにより威力を増すために急降下爆撃ができる性能を持ち、加えて後述の理由により「晴嵐」は爆装ではなく雷装で発射することも可能で、もはや水上機版「流星」と言える存在でした。

異常なのはこれだけではなく、速度も474km/hと、「瑞雲」よりも30km速く、かつてアメリカを爆撃した「零式小型水上偵察機」と比べるとほぼ2倍です。
さらに送り届ける戦場の性質上、アメリカ本土からやってきた戦闘機の反撃にあうことも十分考えられます。
470km/hの速さが異常なのは「水上機なら」という前提があるからで、戦闘機相手だとこの速度は全然速くありません。
あっという間に追いつかれて撃墜されてしまうため、「晴嵐」は予めフロートを搭載せずに発射することも想定されていました。
もちろん着水が不時着になるため、そのあたりのリスクは大きいですが、フロートを取り外せば速度は560km/hにもなり、逃げきれる可能性は一気に高くなります。
ただ、フロートを取り外した場合は「晴嵐」の回収はできなくなり、そのまま海中に放棄することになります。

このように、一作戦限定仕様で使い切りになりかねない戦闘機にとてつもない労力を割いた「晴嵐」ですが、割いたのは労力だけではありません。
特殊な組立方式と少数生産(計28機)によるコスト増、水上機にあるまじき高性能の「晴嵐」1機のお値段はなんと「零戦」約50機分に相当します。

鈍く輝く卑怯な翼 日の丸を背負って戦うことなく海に没す


1943年に入ると、戦況悪化により、「伊400型」の建造数は18隻から10隻に削減、しかし戦力低下は避けたいという理由から、1隻の搭載数も2隻から3隻へ変更されました。
「伊400型」の設計が再び頭を抱える中、「晴嵐」「晴嵐」で何度も訓練に励んでいました。

今回の作戦は奇襲ですが、まず潜水艦が海面に浮かび上がっている時点で大変危険です。
潜水艦は隠蔽が何よりも大事ですから、発見されては元も子もありません。
しかし「晴嵐」を発射させるのは、当たり前ですが浮上しなければ不可能です。
そして「晴嵐」は複雑な組み立て構造。
つまり「伊400型」「晴嵐」を守り、無事作戦を遂行するには、いかに素早く「晴嵐」を組み立て、3機をカタパルトから発射するかにかかっているのです。

カタパルトは格納筒の中までつながっており、恐らく扉を開けたあと連結できるようになっていたと思われます。
爆弾もしくは魚雷、フロートは格納筒内で設置されましたが、状況によっては重りになるフロートなしで発射し、先に紹介しましたとおり最後は乗り捨てることも考えられていました。
またエンジンを一気に暖めるため、暖機ではなく温めた潤滑油を注入するという方法を採用。
あとは1秒でも早く組み立てができるよう、過酷な訓練が日々行われました。

まだ「晴嵐」の仕組みがわかっていない状態での最初期の訓練では、3機が発射されるのに半日はかかったと言われています。
そこから徐々に時間は短縮されていくのですが、20分ほどで発射できるようになってもまだOKは出ません。
1機が発射できないと、2機目の準備には入れませんから、単に大勢動員してそれぞれが1機を担当するわけにはいきません。
1機を組み立てて発射、そして2機目、3機目と組み立てて発射し終えるまでに、20分以上かかっていました。
アメリカ本土近辺でよくわからない潜水艦が水上機を3機発射するのを、20分間黙って見守ってくれるでしょうか。

「晴嵐」は組み立て式ですから、数をこなせば時間はある程度縮まります。
しかし現場が海上であり、また空母のように飛行甲板から発艦するのではなく、カタパルトによる射出ですので、潜水艦が上下する中で適当に発射してしまうと「晴嵐」が海面に突っ込んでしまう恐れがあります。
このタイミングを図ることもまた、訓練の一つでした。

繰り返し繰り返し「晴嵐」を組み立てて、その結果、3機発射までにおよそ10分。
1機およそ3分ほど、訓練開始時の半分まで減らすことができました。

「伊400型」のほうも、格納筒の延長、方向舵も曲げて少しでもスペースを作り3機を接触ギリギリまで詰めます。
またそれでもほんの少しだけ先頭の機体が扉にあたってしまうので、その当たる部分だけ扉に穴を空けて対処。
扉は重厚だったので、必要だった50cmほどの穴を開けることに支障はありませんでした。
これでなんとか無理矢理、しかし安全に3機を収納することができました。

しかし、戦争はこの間に日本から何もかもを奪い取っていました。
1943年、ガダルカナル島からの撤退、海軍甲事件による山本五十六殉職、アッツ島・キスカ島からの撤退、ラバウル空襲。
1944年、トラック島空襲、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦。
あとはいつ負けを認めるか、ただそれだけでした。

また遠く欧州では同じ枢軸国であるイタリア・ドイツが同じように追いつめられており、決着がつくのも時間の問題となっていました。
これは太平洋戦争にも大きく関わってきます。
第二次世界大戦が終結すれば、連合国が向かう先は反抗を行うただ一国、日本を叩くために戦力を太平洋に集中させます。
そんなことをされては日本はおしまいです、完膚なきまでに壊滅されられます。

この状況でそれだけは阻止しなければならない。
戦況は、アメリカ本土空襲で得られるアメリカの混乱程度で打開できるものではなくなっていました。
そこで、太平洋にやってくる艦隊が確実に通るパナマ運河へ標的を変更し、ここを破壊することにしました。
もしここが使えなくなると、アメリカ東海岸の艦隊や欧州の艦隊は南米大陸を迂回して、それこそ「伊400型」が通る予定だったルートを逆に通ることになるので、大変なタイムロスになります。

これにより「晴嵐」の攻撃目標はパナマ運河へ変更、アメリカ本土空襲は幻に終わりました。
パナマ運河破壊に計画が変更されるに伴い、装備も爆装から雷装へと変更。
最初は爆装のみを搭載できるようになっていましたが、ここで初めて雷装も追加されたと言われています。
なお、このパナマ運河破壊は特攻だっという説もありますが、こちらでは【伊401】の項目とともに、通常攻撃として話を進めます。

しかしこのパナマ運河破壊もまた、日本は果たすことができません。
破壊の最大の目的だった、大西洋艦隊の進出阻止、その大西洋艦隊がすでにパナマ運河を通過し、太平洋に入ってきていたのです。
パナマ運河を破壊することで得られるものはたくさんありますが、最も欲しい戦力遅延だけはもうどうしようもありません。
今の日本にとって、艦隊が通過した後のパナマ運河に戦略的価値などなかったのです。

全てが後手後手に回ってしまった日本は、結局連合軍の拠点の一つであるウルシー泊地へ目標を再変更。
そして今度は、爆弾を固定しての特攻が決定されました。
もはや攻撃による効果など二の次で、特攻することが日本男子として当然だと言わんばかりの乱暴な判断でした。

更に、「晴嵐」の機体は日本の深い緑色ではなく、何故か銀色で塗装されていました。
これは「晴嵐」をアメリカ軍の機体へと偽装して接近するためで、実は戦時国際法違反です。
日本は機体にまで米軍の星印を付けており、これを見た「晴嵐」1号機搭乗の高橋一雄少尉は、「誰の入れ知恵だかわからなかったが、卑怯で情けない」と切り捨てています。
この銀翼の水上機部隊は、「神龍特別攻撃隊」と呼ばれました。

ただ、幸いにも彼らはそんな敵機に乗ることはありませんでした。
8月15日、太平洋戦争の終結です。
ウルシー泊地の攻撃は8月17日となっており、【伊400、伊401】ともに、合流はできていませんでしたが8月14日に予定された海域には到着していました。
ところが双方ともに潜水艦内で玉音放送を受信。
ここに日本は敗北し、攻撃をする相手は消滅したのです。

両潜水艦内では意地でも特攻を敢行すべきだという意見もありましたが、艦長がこれを諌め、攻撃を断念、日本へ帰投することが決定されました。
そして、「伊400型」に搭載された秘密兵器「晴嵐」は、ギラリと輝く銀色の星を、煌々と昇る日の丸へと塗り替えられ、二度と飛び立たないよう、羽を折りたたんだまま、海中へ投棄されました。
【伊400】での最後の組み立ては、3機あわせてわずか10分で完了したそうです。

このように、日本最大の秘密兵器「伊400型」に搭載された、世界最強とも言える極秘水上攻撃機「晴嵐」は、遂に実践に参加することなく、沈んでいきました。
現在は終戦後に愛知県の工廠から接収された、たった1機の「晴嵐」が、修復の末アメリカのスミソニアン博物館に保管されています。


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