旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


陸上爆撃機 銀河

陸上爆撃機 『銀河』

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
15.0m
20.0m 55.00㎡ 7,265kg 546.3km/h
航続距離 連 コードネーム 発動機(中島) 製 造 設計者
1,920km(正規)
5,370km(過荷)
Frances(フランシス) 空冷複列星型18気筒
「誉一ニ型」
中島飛行機 山名 正夫
三木 忠直

あれも欲しいこれも欲しい 過剰要求と誉に翻弄された強力爆撃機


1939年当時、帝国海軍の陸上攻撃機は「九六式陸上攻撃機」が主力。
またその後継機として1937年から「一式陸上攻撃機」の開発が進められており、その性能も概ね良好でした。
しかしすでに開戦していた第二次世界大戦の情勢から、海軍は欧州で飛び回っている大型の急降下爆撃機を配備すべきだという意見が多数を占めるようになりました。

当時海軍航空技術廠は各分野での技術向上を目指し、「航続距離」「速度」「高高度飛行」の3つの分野単独での最高記録を出すための研究が行われていました。
海軍はこの経緯に目をつけ、「一式陸攻」を大幅に上回る性能を持つ「十五試双発陸上爆撃機」の開発を空技廠に命令します。
ただ、その要求が壮大なもので、

「一式陸攻」と同等の航続距離(約5,560km)
「零式艦上戦闘機」と同等の速度(約510km/h)
・雷撃と1tクラス爆弾の急降下爆撃がどちらも行える
・離昇距離600m以下

と、端的にいうと「万能優秀爆撃機」を目指したものでした。

ちなみに「爆撃機」と「攻撃機」の線引は、「急降下爆撃ができるかどうか」というところにあります。
雷撃と急降下爆撃がともに行えるといえば「艦上攻撃機 流星」がありますが、これは「攻撃機」に分類されています。
これは推測ですが、中型の艦爆に雷撃性能を加えたのではなく、大型の艦攻に急降下爆撃の性能と爆弾の搭載能力を加えたため、ベースが艦攻であることから「流星」は「艦攻」に分類されているのではないでしょうか。
その代わり、艦攻の命名基準である「山」ではなく、艦爆の命名基準である「星」が採用されています。

一方「十五試双発陸攻」は、当初は魚雷搭載の予定はなく、計画時は「爆撃機」と決定していました。
開発の流れで雷撃性能が加わったため、分類としては「攻撃機」ではなく「爆撃機」のまま進んでいます。

さて開発ですが、なにぶん要求が過剰なため、これまでの技術を結集させる必要があります。
航続距離と高速性が求められるため、とにかく小型・軽量化が進められました。
まず、「一式陸攻」は乗員7名でしたが、「十五試双発陸攻」はこれを3名にまで削減。
これだけで全幅は「一式陸攻」の6割に抑えることができました。
前面面積の削減は、空気抵抗を受ける面を減らすことになりますから最も手っ取り早い燃費向上の方法です。

全長も「一式陸攻」の約20mから15mにまで短くなりましたが、それでも5mの航空魚雷を収納することができました。
大型爆弾(800kg)は1発、500kgから250kg爆弾なら2発搭載することができました。
ただ、「一式陸攻」では可能だった100kg以下の爆弾を複数搭載することはできなくなっています。
武装は「一式陸攻」の機銃5挺から大きく減って前後1挺ずつになりました(13mm機銃もしくは20mm機銃)。

次に燃費向上のために注目されるのは、当然元となる発動機です。
最高速度510km/hと航続距離5,550kmを両立させるためには、従来の発動機では性能が及びません。
「一式陸攻」最高速度:437km/h 航続距離:5,800km 「零戦」最高速度:530km/h 航続距離:3,350km)
しかしその要求を満たすために発動機が大型になってしまうと、今度はせっかく小型化した機体に合わなくなります。

そこで目をつけたのが、中島飛行機が試作していた「誉」です。
「誉」は小型ながらも2,000馬力を発揮することができる次世代の発動機で(前代の「栄」よりも軽い・小さい・高馬力でした)、海軍ではこの「十五試双発陸攻」で初めて採用されました。
しかしこの「誉」は終戦まで不具合が相次ぐ発動機で、特に初期型の「誉一一型」は性能試験中だけでも20回以上の故障が発生。
開発遅延の大きな原因となってしまいます。
完成形には「誉一ニ型」に変更されましたが、それでも「ニ一型」を採用していた「彩雲」と同様に現地での不調が目立ちました。
ただ、性能そのものは素晴らしいもので、「誉」は見事に海軍の要求を満たす結果を残しています。

高性能を支えたのは発動機だけでなく、主翼の設計も大きく関わっています。
主翼は「彗星」を参考にし、一方で急降下爆撃や高速性にも耐えれるように、面積を抑えつつ強度を高めました。
翼型も「彗星」と同じく内側が層流翼型、そして外側へ進むにつれて失速を抑える通常の翼型にする半層流翼型を採用しました。
急降下抵抗板に至っても「彗星」と同様で、補助フラップと兼用にすることで空気抵抗の軽減に努めています。

また、多くの航空機で不足していた防弾性が格段に向上しているのも「十五試双発陸攻」の特徴です。
燃料タンクは自動防漏型になり、自動消火装置や防弾板も設置されるなど、これまでの「一式陸攻」から大きく防御力が高まりました。

このように詰め込めるだけ詰め込んだ「十五試双発陸攻」は、最終的には全ての海軍要求を達成する素晴らしい機体として完成し、晴れて「銀河」が誕生しました。
ただ、1939年に着手された「銀河」は形が見えてきたのさえ1942年。
試験飛行を経て量産体制に入ることができたのは1943年11月と、もう戦況は完全に日本不利一色でした。
しかし量産体制とはいいつつも構造が複雑かつ「誉」の不調続発により、生産速度は上がりません。
終戦まで作り続けたため計1,102機が完成しましたが、それら全てがスペック通りの性能を発揮できたのかと言われるとそうではなく、複雑な構造が「銀河」の活躍の機会を奪っていきました。
パイロットもまた大した訓練を受けないまま操縦桿を握る若者ばかりとなり、たとえ「銀河」が性能通りの能力を発揮することができたとしても、それを操ることが出来ないという問題もつきまといます。

戦果としては【米空母 フランクリン】「九州沖航空戦」で2発の爆撃で大破、また「台湾沖航空戦」では【米軽巡 ヒューストン】へ雷撃を行いこちらも大破させています。
一方で早々に特攻機としても使われるようになり、特攻では【米空母 ランドルフ】の艦尾に直撃し、大破させた戦果が残されています。
しかし「銀河」ほどの性能を持つ爆撃機を特攻に使うあたり、もはや戦果というよりも行為そのものに海軍は溺れていたと感じざるを得ません。

最終的に「銀河」は182機が残存。
完成形として現存する機体はなく、分解保存されたただ1機が、アメリカのスミソニアン博物館に保存されています。

ちなみに「銀河」は、その高性能を活かしつつも問題点を改善させた夜間戦闘機「極光」への転用がされており、この開発は川西航空機が担いました。
ただ、敵機「B-29」に対抗しうる性能は持ち合わせていないことからこの開発は少数にとどまり、「極光」で取り払った爆装を再度搭載した「銀河一六型」が誕生しています。
この他にも多数の改良・試製の計画があることから、やはり性能そのものは随一だったのでしょう。



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