旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


九六式艦上攻撃機

九六式艦上攻撃機

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.15m
15.0m 50.00㎡ 3,600kg 277km/h
機体略号 発動機(中島) 製 造 設 計
B4Y 空冷星型9気筒
「光二型」
海軍航空技術廠 海軍航空技術廠








最後の複葉艦上攻撃機 高性能だったが単葉機への移行ですぐに旧式に


1923年に製造された「一三式艦上攻撃機」は、400機以上製造された優秀な艦上攻撃機でした。
しかしその次の「八九式艦上攻撃機九二式艦上攻撃機」はともに不具合・不満点がありながらも運用せざるを得なかったという背景があります。
約10年もパイロットの評価が良い機体を用意できなかった帝国海軍は、空冷発動機を採用した九試艦上攻撃機の製作を三菱航空機中島、そして海軍航空技術廠(空技廠)へ指示します。
空技廠へも設計をするようにしたのは、やはり過去の2機種があまり満足いくものではなかったためでした。

三菱・中島はともに試作機を用意しますが、それぞれ強度に問題がありました。
一方、空技廠が用意した機体は他の2社のものよりも強固で、さらに当時大量に製造された「九四式水上偵察機」の構造を参考にした堅実な設計が評価されます。
結果、「九六式艦上攻撃機」には空技廠の機体が採用されました。

本機は複葉機で、中央には三座席が設置された3人乗り、後期の一部機体を除きほとんどが開放式風防でした。
過去の機体に比べて曲線を多く採用し、空気抵抗を抑えることができた「九六式艦上攻撃機」は久しぶりに大きな性能向上を成し得た機体でした。

しかし、前年には「九六式艦上戦闘機」が初の金属製単葉機として誕生するなど、世界だけでなく日本も単葉機への意気込みが強くなっていました。
そのため性能がいいとはいえ、複葉機である「九六式艦上攻撃機」は空を席巻するまでの勢力を得るには至りませんでした。
初飛行の翌年の1937年には低単葉機の「九七式艦上攻撃機」が誕生し、特に速度が約100km/hも向上したため、「九六式艦上攻撃機」の製造は200機ほどで製造がストップ。

「九七式艦攻」の増備にともなって「九六式艦攻」は出番を失っていきましたが、戦前では「第二次上海事変」などに投入され、太平洋戦争では【鳳翔】などの軽空母の艦載機として戦地に赴いています。
1942年6月6日の「ミッドウェー海戦」では、沈没した4隻の空母のうち、最後まで奮戦した【飛龍】が大破漂流している姿を、この「九六式艦攻」が撮影しています。
そこには甲板上から手を振る乗員の姿があり、その後【谷風】が単艦で【飛龍】が漂流していたと思われる箇所まで捜索に出ましたが、すでに【飛龍】の姿は残されていませんでした。


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