旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


二式艦上偵察機

二式艦上偵察機

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
10.22m
11.50m 23.60㎡ 3,870kg 533km/h
機体略号 発動機(愛知) 製 造 設 計
D4Y1-C
液冷倒立V型12気筒
「熱田二一型」
愛知航空機 山名 正夫








彗星から派生した高速偵察機 艦隊の目として働くはずだったが


1940年11月、愛知航空機「九九式艦上爆撃機」の後継機「彗星」の試作一号機を完成させ、海軍にお披露目します。
この「彗星」「九九式艦爆」とはかけ離れた存在で、速度重視のために単座の「零式艦上戦闘機」と同じくらいの大きさとなり、また爆弾も初めて胴体内に収納できる設計に。
また試作二号機からは「熱田二一型」という水冷式発動機を採用。
これはドイツのダイムラー・ベンツ社の「DB601A」発動機をライセンス契約を結んで生産・導入されたものでした。
この結果、「彗星」の試作である「十三試艦上爆撃機」は551.9km/h(高度4,750m)というとんでもない最高速度を叩き出すことに成功します。

ところがこの水冷式発動機は大変扱いにくい代物でした。
ドイツの技術力と設備環境が整って初めて量産ができる「熱田二一型」は、当時の日本人・日本の設備の力では手に余るものでした。
やむを得ず材料や工程の簡素化などでやりくりをしたのですが、当然従来の性能が発揮されるわけもなく、また逆に想定されていないトラブルも続発。
日本初の水冷式ということで、正確な修理ができる者が少なかったというのも問題でした。

試作機は完成し、そしてその性能も素晴らしいものではありますが、肝心の発動機のトラブルが解消されないため、「彗星」が導入されるのにはまだまだ時間がかかりそうでした。
ただ、海軍はこの圧倒的な速度を誇る「十三試艦爆」をどうにかして活用させたいと考えていました。
不具合はあるものの、逆に言えば不具合さえなければこれほど使いやすい機体もありません。

小さくて、速く、航続距離も長い。

この特徴から、海軍は「十三試艦爆」を先に「偵察機」として運用することを決定します。
これまで偵察には「九七式艦上攻撃機」「零式水上偵察機」が使われていましたが、かたや鈍足の旧式、かたや鈍足の水上機。
この2機種では、敵と遭遇した時に撃墜や逃亡が大変困難でした。
しかしこの「十三試艦爆」なら、少なくとも速度においては追随できる存在はそうはいません。
偵察機は敵に見つからずに索敵を行うだけでなく、撃墜されずに戻ることもまた、当然ながら大変重要な任務でした。

まずは試作機の二号機、三号機、四号機の爆弾倉を取り外し、代わりにカメラを搭載。
そして1942年5月、二号機、三号機はともに第二航空戦隊の【蒼龍】に配備されました。
6月の「ミッドウェー海戦」ではまさに偵察機としての役割を果たし、偵察の帰り道で見事アメリカ航空部隊を発見。
ところが無線機が故障するという最悪の事態が発生し、結局報告は【蒼龍】へ帰還後。
その後の顛末は語るまでもありません、この海戦では二号機、三号機も失われています。

最も偵察が必要だった海戦で、索敵が重要であることを痛感させられた海軍。
後の祭りではありますが、海軍は急ぎ正式な偵察機採用を求めます。

8月、試作五号機が試験飛行中に空中分解してしまいます。
これは五号機の機体の強度が艦爆に相応しい物に到達していなかったためで、この時期でもまだ「彗星」は配備がされていませんでした。
しかしこの五号機の空中分解は艦爆としての強度不足が原因、なら偵察機としてならどうかとなると、艦爆よりも複雑な運動、急激な運動が少ない偵察機なら問題ないという結論に至ります。

これにより、「十三試艦爆」「彗星」としてではなく、先に「二式艦上偵察機」として誕生することになりました。
「二式艦偵」には爆弾倉内蔵式増加燃料タンクやカメラが搭載され、1942年末から順次配備されていきます。
ただ一方で、急場しのぎのような形で採用された「二式艦偵」とは別に、正真正銘の偵察機として海軍は中島飛行機「十七試艦上偵察機」、のちの「彩雲」の試作を指示しています。

「二式艦偵」は偵察はもちろん、編隊先導や戦果記録なども兼務。
後に「彩雲」が登場すると、偵察はより高速な「彩雲」が務め、「二式艦偵」は後者の誘導・記録が主な役割となっていきました。

ところがこれらの偵察機は艦上偵察機であったにもかかわらず、肝心の空母がどんどん沈んでいく有様だったため、あまり空母から発艦した記録は残されていません。
「彩雲」に至っては空母からの発艦記録が現時点では全く無いようです。

「二式艦偵」は初代を「一一型」とし、「彗星」が発動機を「熱田三二型」に変更した際、こちらも発動機の変更に伴い「二式艦上偵察機一二型」が誕生しています。
ただ、この「二式艦偵」は最も必要だった戦争初期に存在していなかったのが致命的でした。
性能は決して悪くなかったのですが、導入されたのが戦況が互角、そして劣勢に傾いた頃からで、敗走が続く日本では大きな成果を残すことができませんでした。
加えて「九七式艦攻」「零式水偵」の代わりとして導入されたにも関わらず、空母が少ないため陸地からしか飛び立てなかったという苦悩もあり、戦況を打開するまでには至っていません。
「偵察機」という分類は日本独自のもので、着眼点は良かっただけに非常に悔やまれるものでした。


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