旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


零式水偵

零式水上偵察機 通称「零水」

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
11.49m
14.50m 36.20㎡ 3,650kg 367km/h
機体略号 発動機(三菱) 製 造 設 計
E13A
空冷星型14気筒
「金星43型」
愛知航空機 ???







万能水上偵察機 標準装備として太平洋戦争で飛び回る


1937年、帝国海軍はこれまで役割を果たしてきた「九四式水上偵察機」の後継機の開発に乗り出していました。
「九四式水偵」は複葉機ではあるものの、530機が製造されたことからもわかるように、当時の水上機運用に欠かせない存在でした。
しかし当時の技術進歩はめまぐるしく、5年もあれば次々と新しい要求が出され、そしてそれを叶えることができる力も身につけていました。

「十二試三座水上偵察機」川西航空機愛知航空機に製作が指示され、水上機・巡洋艦からだけでなく、水上基地からも発着できることを求められ、また速度も「九四式水偵」の約240km/hから一気に370km/hまで引き上げられました。
本来海軍は同時期に開発が進められていた「十二試二座水上偵察機」を主力機として想定していましたが、この「十二試二座水偵」は爆撃機としても運用できるようにするなど高性能なものだったので、これの下位互換として汎用性のある「十二試三座水偵」も設計することになったのです。

愛知「十二試二座水偵」も開発していましたが、平行して全く別のものを設計するには納期に間に合わないため、同じ水上機である「十二試二座水偵」の設計図から三座へ使い回す形で研究を急ピッチで進めました。
しかし残念ながら納期の1938年9月には間に合わず、ライバルの川西「十二試三座水偵」が海軍に採用されることになってしまいました。

採用はされなかったものの、自社では「十二試二座水偵」の開発にはこの三座式の研究も役に立つだろうと思い、愛知は研究資料として引き続き「十二試三座水偵」を作り続けていました。
そして愛知製の「十二試三座水偵」は、1939年1月に完成します。

一方、採用された川西製の「十二試三座水偵」ですが、これが期待はずれと不幸の連続。
飛行試験から安定性も強度も不足していることが露呈し、その結果試作1号機は事故を起こし、また2号機に至っては行方不明になってしまうなど、とても正式運用させることはできない状態でした。

困った海軍ですが、救いの道は本機の開発を止めていなかった愛知に残されていました。
海軍は愛知「十二試ニ座水偵」を入手し、性能を確認します。
そして見事海軍の内定を手に入れた「十二試二座水偵」は、晴れて「零式水上偵察機」として採用されました。

「零式水偵」はあらゆる機会で運用できる設計になっていて、戦艦や重巡洋艦、潜水艦、また最新のカタパルトを積んでいた後期型の軽巡洋艦(「阿賀野型」【大淀】など)の標準装備となりました。
ちなみに「零式水偵」が載せれない5,000t級軽巡洋艦には、先代の「九四式水偵」が載せられています。

革新的な存在とはいかないものの、「九四式水偵」同様、非常に安定した存在であった「零式水偵」は量産され、また夜間偵察専用として運用されていた「九八式水上偵察機」「零式水偵」に役割を譲るなど、昼夜問わず活躍しました。
1400機以上が製造された(製造元の多くは渡辺鉄工所「零式水偵」は、偵察の他にも索敵や照明弾の投下、爆弾を搭載したり、また派生型として対潜哨戒用に排気管に消炎装置をつけたり、機銃を増備したものなど、多種多様な運用がなされました。

しかし「零式水偵」のデメリットはなんといっても戦闘能力のなさでした。
敵も水上機運用は行っていますが、日本でも「九七式艦上攻撃機」が偵察も行っていたことと同様、本来の役割とは違う航空機が偵察を行うことも珍しくありません。
特に太平洋戦争以後は偵察専用の機が登場したり(日本でも「二式艦上偵察機」「彩雲」が存在します)、高速性に優れた艦上戦闘機が偵察に出ることも増えてきます。
「零式水偵」はそれらと相対した際に生き残る術を備えておらず、7.7mm機銃が一挺あるものの、特に対航空機特化とも言える戦闘機相手には到底叶いませんでした。

このように、大戦中期頃から偵察機をメインとした運用をするのが厳しくなってきた「零式水偵」でしたが、先に述べたとおり非常に幅広い運用ができたおかげで、特攻にも使用されず、終戦までなかなかの活躍を続けることができた優秀な水上機でした。


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