旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


零観

零式水上観測機 通称『零観』

(最大速度は計測高度によって変わります)

全 長 全 幅 主翼面積 重 量 最大速度
9.50m
11.0m 29.54㎡ 2,550kg 370.0km/h
機体略号 発動機(三菱) 製 造設 計
F1M1
空冷複列星形14気筒
「瑞星一三型」
三菱重工業 佐野 栄太郎

観測機という名の優秀複葉機 終戦まで積極的な運用がされた零観


戦艦の能力がどんどん高まる中、海軍は射程が伸びる一方でその命中率を上げる必要があるという認識を持っていました。
どれだけ長大な射程を得ようとも、近かろうが遠かろうが当たらなければ意味がありません。
命中したかどうかは船からでもある程度わかりますが、外した場合、果たしてどれほどの誤差があったのかという情報が次の命中に繋がる重要なデータとなります。
砲も時間も有限で、かつ砲を放つということは生死を分ける戦いの最中ということ。
つまり、いかに早く敵を無力化できるか、いかに正確に命中させるかが、生き残るためには必要不可欠なのです。

その方法として、船からだけでなく空から弾着を観測するという方法が編み出されました。
船からでは目標の前後に弾着した場合は距離を修正できますが、手前と奥に弾着した場合の誤差を拾い上げるのはなかなか難しいものでした。
ですので、空から弾着を確認できれば、今までよりも遥かに命中率を上げることが期待されました。

その役割を求められたのが、「十試水上観測機」です。
実は「十試水上観測機」「零式水上偵察機」よりも前の1935年に試作命令が出されており、三菱重工業・愛知航空機・川西航空機の3社が争うことになりました。
「十試水上観測機」は単なる観測機ではなく、偵察機としての役割もある程度果たせるような要求となっていました。
三菱愛知は複葉機で、川西は単葉機でこの要求に応えようとします。

三菱はここまで水上機の製造の経験は浅かったものの、逆に艦船に関わっている経験がそれを補えました。
水上機は空母ではなく巡洋艦や戦艦、水上機母艦などから発艦するため、艦載機とは勝手が違います。
三菱の設計者である佐野栄太郎は、観測機に求められるものかは何かという点から、速度よりも安定性・運動性能を重視。
当時の複葉機が淘汰されつつあった大きな理由は速度でしたが、それ以外では単葉機よりも優れている点も多々あります。
上昇能力もその一つで、三菱が製造した「十試水上観測機」は高度5,000mまで9分でたどり着ける優れものでした。

機体の構造を絞り込んで支柱や主翼間の張り線を極力省き、完成した三菱「十試水上観測機」は、3社の比較審査の際にまず単葉機である川西を打ち負かすことに成功します。
残るは愛知ですが、愛知もまた屈指の能力を誇る複葉機を提出しており、航空性能は三菱のそれを上回る点もありました。
また、陸上からの離陸も考慮した車輪付きの試作二号機もあり、非常に力を入れていたことがわかります。

ただ、愛知「十試水上観測機」の大きな弱点はその主翼が木製であることでした。
三菱は全金属製ですが、愛知は主翼のみ木製(当然防水加工はされています)で、艦載機ならいざしらず、水上機で木製というのはいくら防水加工がされていたとしても大きな不安要素でした。
また、この審査中に三菱は新しい発動機「瑞星一三型」の開発に成功し、これを搭載した「十試水上観測機」は、愛知製の「十試水上観測機」より60km/hも遅かった速度が一気に25km/hほどにまで縮まりました。

これにより両社の決着はつき、「零式水上観測機」三菱製のものが採用されることになりました。
そしてこの「零観」は、単なる観測機としての役割を超え、戦中のあらゆるところで活躍した名機として名を馳せています。

上記のように、複葉機のメリットは運動性能と安定性の高さです。
「零観」はこの複葉機ならではの強みと早い上昇速度を活かして、目論見通り偵察機としての役割も任されました。
そして太平洋戦争は戦艦の出番が少ないことがわかると、装備されていた7.7mm機銃3門(機首2門、旋回式1門)を駆使して、今度は船団護衛としても重宝されるようになります。
当然戦闘機も護衛に就きますが、水上機は艦から離発着できるので、航続距離をあまり気にしなくても大丈夫です。
また輸送任務には資材を載せた補給艦やタンカー、護衛に就く軍艦の他に、水上機母艦もしばしば同行しています。
水上機母艦は資材も積める上、水上機の運用も可能なので、帝国海軍は正規の水上機母艦の他にも、徴用・改造した特設水上機母艦の建造にも力を注いでいました。

この「零観」の戦闘能力は複葉機とは思えないものだったようで、当然優勢に戦えたわけではないものの、単独・協力含め数々の戦闘機撃墜の記録があります。
万能型の水上機となった「零観」は、他にも対潜哨戒や、爆撃機として攻撃部隊に参加、逆に基地防空のために戦闘機とともに迎撃するなど、観測機という分類以外の活躍が圧倒的に目立ちます。
その強さは誰もが認めるもので、水上戦闘機として「零観」よりも後に生まれた「二式水上戦闘機」とともに運用されるほどでした。

観測機としての任務はあまり多くありませんでしたが、このようにありとあらゆる場面で活躍した「零観」は、大戦末期だと水上機乗りが陸上機のパイロットに配属されたこともあります。
一部のみ特攻機としても使われましたが、1,000機以上(諸説あり)製造された「零観」は終戦まで継続して運用されました。
開戦から終戦まで重要な任務に使われた日本の航空機は、往々にして止む無く運用を続けた例が多いのですが、この「零観」は小規模な改造があっただけで、なおかつ現場で最後まで性能に満足した上で重宝された優秀な航空機です。

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