旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


軽巡 酒匂

軽巡洋艦 酒匂【阿賀野型軽巡洋艦 四番艦】
Light Cruiser  SAKAWA 【AGANO-class Light Cruiser 4th】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
クロスロード作戦
建 造
1942年11月21日 1944年4月9日 1944年11月30日 1946年7月2日 佐世保海軍工廠
基準排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
6,652t 174.50m 15.20m 35.0ノット 100,000馬力







帝国海軍最後の軽巡は戦知らず 酒匂


「阿賀野型」の四番艦【酒匂】は、もともと誕生の遅かった「阿賀野型」の中でも最も遅く、三番艦である【矢矧】竣工からも約1年も後での竣工でした。
1944年末は、もはや「レイテ沖海戦」すら終焉し、帝国海軍は壊滅状態、軽巡1隻でどうこうできる状況ではありませんでした。

竣工後、【酒匂】は第十一戦隊水雷戦隊の旗艦に就任するのですが、この水戦は訓練用に編成されたもので、戦場に赴くことはなく、主に瀬戸内海での航海が続きました。

1945年3月、【酒匂】に初の実践の機会が訪れます。
「天一号作戦」【大和】以下、数々の名鑑が沈んでいった特攻作戦です。
【酒匂】【矢矧】とともに出撃準備を行いますが、幸か不幸か、作戦直前に【酒匂】の出撃は中止されてしまいます。
特攻ということで、参加する艦は帰還が前提とされていません。
事実、【大和】は帰還用の燃料を積まずに出撃しています。
いくら敗戦濃厚とはいえ、竣工間もない【酒匂】をわざわざ敵にくれてやる必要はないという判断だったのかもしれません。
その後、舞鶴にて日々を過ごしていた時も、空襲の危険性が高まると【酒匂】は宮津湾へと避難しています。
その宮津湾空襲では、失敗作と言われながらも終戦間近まで奮戦した「初春型」【初霜】が大破着底するなどの被害が出ています。

やがて太平洋戦争は終戦、日本は敗北を受け入れます。
【酒匂】は遂に実戦を経験せず、訓練中に遭遇したB-29への砲撃のみでその役目を終えます。
【酒匂】は終戦後、約半年間特別輸送艦として【鳳翔】らとともに兵員の帰還のために働きました。

1946年2月、【酒匂】は特別輸送艦の任を解かれますが、【酒匂】の最期は非業なものでした。
【酒匂】【長門】とともに、核兵器の実験「クロスロード作戦」の標的艦とされ、米軍に接収されてしまいます。
日本はビキニ環礁まで【酒匂】に添乗してほしいと頼まれますが、断っています。

【酒匂】は7月1日の第一次実験「空中爆発」の際、爆心予定地からおよそ600mほど離れた場所で浮かんでいました。
しかし投下場所は予定地から逸れ、無情にも【酒匂】のほぼ真上で爆発してしまいます。
【酒匂】よりも爆心地に近かった【米兵員輸送艦 ギリアム】は瞬時に沈没。
しかし頑丈な【酒匂】は艦上のあらゆるものが薙ぎ払われ、艦尾が粉々に粉砕されながらも持ちこたえます。
ところが核爆発による熱線が生み出した炎は消えることがなく、【酒匂】は1日中炎に包まれてしまいます。

翌日、米軍は被害状況の確認のために【酒匂】の曳航を試みます。
しかし曳航索が繋がれて曳航が始まるや否や、【酒匂】はその行為を拒むかのように船尾から徐々に沈没していきました。
幸い曳航索は切断ができたため、曳航していた【アチョウマイ】は沈没に巻き込まれずに済んでいます。

【酒匂】は今も【長門】とともにビキニの海で眠っており、ダイビングスポットとしてダイバーたちを楽しませています。


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