旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


軽巡 那珂

軽巡洋艦 那珂【川内型軽巡洋艦 三番艦】
Light Cruiser  NAKA 【SENDAI-class Light Cruiser 3rd】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
トラック島空襲
建 造
1922年6月10日 1925年3月24日 1925年11月30日 1944年2月17日 横 浜 船 渠
常備排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
5,595t 162.46m 14.17m 35.3ノット 90,000馬力







開戦前は不幸の連続 第四水雷戦隊旗艦 那珂


【那珂】「川内型」の二番艦として起工し、横浜で順調に建造が進められていました。
ところが、まもなく進水式だという時に、突如関東を未曾有の大災害が襲います。
関東大震災です。
これにより【那珂】は船体を大きく損傷し、もはや修復不可能な状態に陥ってしまいます。
哀れ【那珂】の運命は始まる前に終わってしまうのか、と思われましたが、同じく大破した【天城】とは違い、【那珂】は改めてほぼ一から建造に取り組むことになりました。

再建造にあたり、【那珂】の艦首形状は【川内・神通】のスプーンバウからダブル・カーブドバウへと変更しています。
そして最初の起工から三年後に無事竣工します。
ちなみに旧【那珂】に使われていた船体の鋼材はクレーン船に再利用され、長く活躍し続けました。

さて、誕生前から不幸に見舞われた【那珂】ですが、これはまだ序章に過ぎません。
竣工から2年後の1927年には、【神通】【蕨】が演習中に大衝突する「美保関事件」が発生します。

その演習に参加し、【神通】の後続にいた【那珂】は、【神通】【蕨】の激突を目の当たりにし、慌てて左へ舵を切ります。
ところが同じく【蕨】の後続にいた【葦】も右へ転舵、今度は回避した船同士が衝突する事態となってしまいます。
【神通】は艦首下部が脱落、【蕨】はなんと沈没。
【那珂】は航行こそ可能だったものの大破し、【葦】も大破して【阿武隈】に曳航されて帰投しています。

残念ながら、【那珂】の不幸はまだ終わりません。
1935年には「第四艦隊事件」が発生。
【那珂】は当時から第四水雷戦隊の旗艦を務めており、この演習の時も旗艦でした。
この事件で【那珂】は損傷を負ったわけではありませんが、随伴艦の多くが台風の影響によって損傷します。
【初雪・夕霧】に至っては艦首が切断され、「友鶴事件」とともに帝国海軍の歴史の中でも非常に重要度の高い事件となりました。

これらの困難を乗り越え、【那珂】は引き続き第四水雷戦隊旗艦に就任。
太平洋戦争開戦前には酸素魚雷が発射できる61cm四連装魚雷発射管に換装されています。

しかし【那珂】は開戦してからも不運に見舞われます。
緒戦はフィリピン侵攻の輸送任務に従事していましたが、その中で蘭印への侵攻支援のため、バリクパパンへの輸送船団の護衛に就きます。
バリクパパンのあるタランカ島が陥落し、【那珂】は港へ入港し、機雷の除去を命じます。
ところが、タランカ島はまだ完全に陥落しておらず、突如砲台から掃海艇へ向けて砲弾が発射されました。
結果、2隻の掃海艇が沈没してしまいます。

この結果もあったためか、【那珂】は続く「バリクパパン沖海戦」では悪天候の中で姿を見せ、【輸送船 敦賀丸】を沈めたオランダ潜水艦を激しく追撃。
しかし結局これは失敗に終わり、【那珂】は帰投しました。
ところが、戻ってみれば護衛対象の輸送船団の数が大きく減少しています。
なんと追撃中に米駆逐艦4隻が輸送船団を一方的に砲撃し、輸送船5隻沈没などの大被害を負ってしまうのです。
この海戦は、米軍にとって緒戦の数少ない大勝利となりました。

「スラバヤ沖海戦」では多数の魚雷を発射するも、なかなか戦果を挙げることができずに撤退。
海戦そのものは勝利を収めていますが、【那珂】が参加した2月27日日中の戦いでは大きな功績が残っていません(駆逐艦1隻撃沈)。

続く「クリスマス島攻略作戦」に従事した【那珂】は、クリスマス島占領に一役買い、その後は哨戒活動を行います。
しかしクリスマス島陥落の翌日になる4月1日、【那珂】【米潜水艦 シーウルフ】の発射した魚雷が直撃して大破、艦内の至るところが浸水する大被害を負います。
ぎりぎり沈没を免れた【那珂】は、【名取】に曳航されてジャワ島へ避難。
竜骨を交換するという大規模な修理となりましたが、【工作艦 朝日】の修復によって自力航行が可能となったため、その後は舞鶴へ戻って修理に入っています。
また、舞鶴では修復とともに装備の改装工事も行い、21号電探の装備、5番砲塔を12.7cm連装高角砲へ換装するなど、対空兵装が強化されました。

戦線に復帰した【那珂】は、その後も護衛任務が主となり、トラック泊地を拠点として海上を駆け巡りますが、1943年は姉妹艦【川内・神通】が沈没し、「川内型」唯一の艦となってしまいます。
肝心の戦いも次々と島が侵攻されていくので、海戦よりも陸軍支援の輸送任務が大半となり、機銃が唸りを上げる日々でした。

1944年2月、トラック島近海で潜水艦の被害を受けた【阿賀野】の救援のため、【那珂】はトラック島から【阿賀野】の元へ急進します。
しかし時すでに遅し、【阿賀野】は米軍の空襲によって【那珂】が到着する前に沈没してしまいました。
【那珂】は止むなく引き返すのですが(生存者は【追風】が救助)、しかし不運にも【那珂】までもが米艦載機に捉えられてしまいます。

入港寸前だった【那珂】は急遽反転、沖合に出て空襲をやり過ごそうとしますが、
近海に潜む空母2隻からひっきりなしに飛んでくる艦載機の攻撃によって、徐々に力を削がれていきます。
主砲まで使って対空射撃を行いますが、ついに【那珂】は艦首が切断され、その身を海に沈めていくことになりました。
「トラック島空襲」では他にも【太刀風・追風・舞風・文月・香取】が沈没し、一方的に蹂躙された空襲でした。


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