旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


軽巡 神通

軽巡洋艦 神通【川内型軽巡洋艦 ニ番艦】
Light Cruiser  JINTSU 【SENDAI-class Light Cruiser 2nd】


参考資料 『写真・太平洋戦争の日本軍艦 [大型艦篇][軽艦艇篇]』(阿部安雄・中川勉)
起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
コロンバンガラ島沖海戦
建 造
1922年8月4日 1923年12月8日 1925年7月31日 1943年7月13日 川 崎 造 船 所
常備排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
5,595t 162.46m 14.20m 35.3ノット 90,000馬力







「華のニ水戦」の頭領 有史に名を残した神通


【神通】は本当は三番艦の予定でしたが、横須賀で建造されていた【那珂】関東大震災によって竣工前に大破。
再建造することになってしまったため、繰り上げで【神通】が二番艦となりました。

1927年の演習中には、【蕨】と衝突する「美保関事件」を起こしてしまい、【蕨】はその衝撃に耐え切れずに沈没してしまいました。
【神通】も艦首の大部分を抉り取られるほどの大損害で、さらに後続の【那珂】【葦】と衝突、双方とも大破し、多数の死傷者が出てしまいます。

軽巡 神通
(「美保関事件」後の神通)

当時の【神通】艦長は水城圭二大佐
彼はすべての責任を取る形で、軍法会議の判決前日に自決しています。
悲しいことに、当時の【蕨】の艦長五十嵐恵少佐は、彼の教え子だったそうです。

この事件、背景には想定される実戦をはるかに超えた過酷な訓練が生み出した悲劇としても語られています。

修理が終わると、【神通】はかねてより期待されていた、第一艦隊第二水雷戦隊の旗艦に就任。
ここに日本の最強武闘派集団の長たる【神通】が誕生します。

「第二水雷戦隊」

飛行機が敵を制圧する要になる前、戦いは当然洋上の艦同士のものとなります。
戦闘は大型戦艦の主砲のみならず、軽巡洋艦や駆逐艦による魚雷攻撃も非常に有効な攻撃手段です。
水雷戦隊とはその魚雷を必殺兵器として戦うために編成されたものでした。
ですので、組み込まれているのは軽巡と駆逐艦。
主砲の攻撃のみならず、相手の懐に飛び込んで確実に魚雷で仕留めることが求められたエリート集団なのです。
特に「第二水雷戦隊」は、連合艦隊で最もはじめに敵軍に突撃することがほぼ決まっていた戦隊のため、選ばれた艦、乗員は精鋭ばかり。
兵員は戦艦に乗るか二水戦に乗るかのどちらかに強い憧れを抱いていました。
戦艦から二水戦に転属が決まり、諸手を上げて喜んだという記録もあるほどです。

【神通】はそんな猛者を束ねる旗艦に就任したのです。
世界一の水雷戦隊を率いた鬼神として、その名を今にも残しています。

【神通】はその二水戦旗艦に相応しい装備も与えられます。
二水戦旗艦ということは司令部も【神通】に乗船するため、その司令部施設の拡充を行い、また後部の魚雷発射管は酸素魚雷を発射することができる61cm四連装魚雷発射管へと換装されました(前部魚雷発射管は撤去)。

そんな万全の体制で太平洋戦争に突入した【神通】でしたが、緒戦である「スラバヤ沖海戦」は大目玉を食らいます。
敵影を発見し、【神通】は各艦にご自慢の酸素魚雷を発射するように指示します。
しかしあまりにも遠距離での攻撃だったため、命中はごくわずか。
もちろん魚雷もタダではなく、どころか1本が今の金額で3~5億円ほどすると算出されているため、空撃ちは厳禁。
【英駆逐艦 エレクトラ】を撃沈せしめるなど、海戦は勝利するのですが、全く評価されませんでした。

「第二次ソロモン海戦」では、日本は終始劣勢に立たされ、判断が後手に回ります。
【神通】はじめ二水戦も戦略をなかなか練ることができず、ヘンダーソン飛行場の存在が日本を苦しめていました。
8月24日深夜にヘンダーソン飛行場へ向けて砲撃を行うのですが、【神通】はそのヘンダーソン飛行場から飛び立った【米爆撃機 ドーントレス】の空襲の被害にあって損傷、やむなく戦場から退避します。
輸送船団や他の駆逐艦も多数の被害を負い、「第二次ソロモン海戦」で日本は敗北します。

修理を終えると、【神通】「ケ号作戦(ガダルカナル島撤退作戦)」に従事。
その後しばらくは一部輸送任務を除いてトラック島での待機が続きます。
そして7月11日、その名が轟くきっかけとなっている有名な戦い、「コロンバンガラ島沖海戦」へと突入します。

当時の日本の夜戦の戦い方は、軽巡洋艦が探照灯を敵艦隊へ向けて投射、敵艦隊の姿を露呈させてそこに向けて各艦が総攻撃をしかけるというものでした。
しかし当然、その光を追えば自身の場所も特定されます。
探照灯投射は諸刃の刃でした。

【神通】はそんなこと意に介さず、探照灯を敵艦隊へ向けて放ちました。
各艦一斉に突撃、砲撃を開始します。
また同時に、【神通】にも他方から砲弾や魚雷が容赦なく襲いかかってきました。
二水戦所属の駆逐艦は全く被害なく突撃する中、【神通】は瞬く間に炎に包まれてしまいます。
集中砲火を浴びながら、自身も魚雷を7本発射。
再装填か回頭しての発射かは判明していませんが、この猛攻の最中にそこまでの行動がとれていました。

沈没までに受けた砲撃は2500発とも言われ、【神通】はやがて大爆発、船体が真っ二つに割れてしまいました。
ところが【神通】からはまだ砲弾が発射されます。
艦前部からは、その身体が海に飲み込まれるまでのおよそ2時間、絶え間なく砲弾が飛び続けました。

一方、被害の全くない二水戦は勇猛果敢に敵艦隊へ突っ込み、一度退避して魚雷を再装填すると再び突撃。
敵駆逐艦1隻撃沈、軽巡3隻、駆逐艦2隻を大破に追い込む大殊勲をあげます。
唯一の被害も【雪風】への不発弾のみ、【神通】以外は見事にこの海戦で大勝利を飾って帰還しました。
しかし【神通】は艦長、司令部をはじめ乗員の大半が死亡。
退艦命令などを出せるものがいなくなった【神通】は、その後も執念とも言える砲撃を続けたものの、若干名が日米の両潜水艦によって救助されるにとどまっています。

【神通】の沈没によって、以後日本は探照灯から照明弾へと夜戦戦術を変更。
【神通】の鬼気迫る戦いぶりには賞賛を与えるべきかと思いますが、指揮系統である司令部まで根こそぎ奪われる戦術は海戦後の日本の艦隊運営に大きな支障となります。
「コロンバンガラ島沖海戦」のわずか6日前の「クラ湾夜戦」でも、第三水雷戦隊旗艦の【新月】とその司令部が沈没、全滅。
「クラ湾夜戦」では探照灯は使われていないようですが、この2つの水雷戦隊の壊滅は致命的で、第四水雷戦隊をそのまま二水戦へスライドさせる応急処置を取らざるを得ませんでした。


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