旧日本海軍の戦艦、空母や航空機などについて簡単にご紹介します


軽巡 五十鈴

軽巡洋艦 五十鈴【長良型軽巡洋艦 ニ番艦】
Light Cruiser  ISUZU 【NAGARA-class Light Cruiser 2nd】


起工日 進水日 竣工日 退役日(沈没)
レイテ沖海戦
建 造
1920年8月10日 1921年10月29日 1923年8月15日 1945年4月7日 浦 賀 船 渠
常備排水量 全 長 全 幅 速 度 馬 力
① 5,570t
② 6,260t
① 162.15m

① 14.17m

① 36.0ノット
② 34.5ノット
① 90,000馬力

①1923年竣工時  ②1944年(防空巡洋艦改装完了後)

名艦長をたくさん輩出 防空対潜軽巡洋艦 五十鈴


【五十鈴】「長良型」の中でもなかなか異彩を放つ存在です。
ひとつは、高速の軽巡洋艦として水雷戦隊の旗艦を期待された【五十鈴】からは、戦時中の功績が大きく、後世に名を残している艦長が多数輩出されているからです。

連合艦隊総司令官として名高い山本五十六元帥海軍大将(当時大佐)「真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦」【蒼龍・飛龍】が所属する第二航空戦隊の司令官を務めた山口多聞中将(当時大佐)を筆頭に、名を挙げればきりがないほどで、そういう意味での幸運艦であったのかもしれません。

また、【五十鈴】がほかの「長良型」と一線を画しているもう一つの理由が、改装後の姿です(後述)。

太平洋戦争開戦後、【五十鈴】「南太平洋海戦」「第三次ソロモン海戦」に突撃します。
この2つの海戦では、被弾して修理せざるを得なくなった【神通】に代わり、華の第二水雷戦隊旗艦を任されています。
しかしその活躍までは【神通】の代わりを務めることができず、「第三次ソロモン海戦」では【米空母 エンタープライズ】の艦載機の爆撃によって沈没寸前の大被害を負ってしまいます。

1943年末には再び空襲によって大破、【五十鈴】はまたもやドック入りします。
この2度の空襲による大破が、【五十鈴】の姿を変えるきっかけとなりました。

【五十鈴】は船体も20年以上前のもので、装備も今や主力の航空機に対応したものではありませんでした。
そこで帝国海軍は思い切った行動に出ます。
なんと主砲を全部撤去、海上にいる敵への攻撃は魚雷のみという造りへと変貌していくことになりました。

まずは対空装備です。
14cm単装砲7門はすべて12.7cm連装高角砲へ換装され(6門)、さらに25mm三連装機銃11基、同単装機銃5基とまさに山盛り。
【五十鈴】の敵は空にしかいないと思われるような兵装でした。

ところがそれだけではありません。
【五十鈴】は同時に、見えない敵を仕留める役割も求められました。
潜水艦掃討のために水中探信儀聴音機を装備し、爆雷90個を搭載、電探21号対空電探22号対水上電探を1基ずつ、さらに「レイテ沖海戦」後には13号対空電探も載せています。

対空装備は重巡並みで、対潜装備は追随を許さないほどの徹底ぶり、電探装備量は他を圧倒するほどで、帝国海軍自慢の酸素魚雷を搭載するなど、【五十鈴】は元の軽巡洋艦としての姿が思い出せないほどの大変身を遂げます。

さて、【五十鈴】は改装後、水雷戦隊として「レイテ沖海戦」へ出撃します。

当時は軽巡洋艦もめっきり減り、【五十鈴】は水雷戦隊の役割を求められてはいないものの、所属は水雷戦隊とせざるを得なかったのです。
もちろん【五十鈴】の仕事は対空・対潜であり、【五十鈴】はその機銃の威力をもって敵機13機を迎撃することに成功しています(9機とも)。

しかし「レイテ沖海戦」は完全に負け戦であり、【五十鈴】の奮闘虚しく、僚艦であった空母たちは1隻また1隻と沈没。
ついに自身も潜水艦の魚雷を受けて損傷を負い、【五十鈴】は重い身体を引きずって戦場から離脱します。
【五十鈴】はここから挽回の機会を得ることなく、修理後は敵に命運を握られてしまいます。

1945年4月4日、修理完了から3日後のことです。
【五十鈴】はスンダ列島にいる兵員を撤退させるために海上を走り、潜水艦に探知され、さらにオーストラリア軍の空襲にあい被弾するも、なんとかその場を切り抜けて助けた兵士をスンバワ島へ送ることができました。
しかし4月7日早朝、【五十鈴】【米潜水艦 ガビラン・チャー】から発射された魚雷を回避することができず、計4発の被雷によってついにその最期を迎えます。
帝国海軍でも最高レベルの対潜装備を搭載していたにも関わらず、最初に受けた1発によって速力は低下、その後の粘りも虚しく、3発の魚雷を立て続けに受けてしまいました。

帝国海軍は多くの特化艦を生み出してきましたが、全てが誕生のタイミングが遅く、この【五十鈴】もまた、日本の敗北が目前にあっての改装だったため、真なる姿での活躍はできませんでした。
しかし【五十鈴】【長良】と同じく、旧式艦ながら長きに渡り、そして戦場や輸送、夜戦等々、多種多様な任務をこなしてきた功労艦であることは忘れてはならないと思います。


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